こんにちは。
梅雨ですが、もうお天気の話題を導入に使うことはやめにします。
ジメジメしますね。(使った!!)
今日でやめにします。
というわけで、こんな僻地から発信しているにもかかわらず、今日もお読みくださってどうも有難うございます。
日記を書こうとしても5日くらいしか続かないというのに、クルマのブログを書いたら軽く1ヶ月続くって、一体どういうことなんですかね?
自分でも呆れます。
あ、そうだ!
初めに書いておかないと忘れそうなので、書きます。
リクエスト募集してます!!
「こんなクルマを取り上げて欲しい」とか「こんなクルマを取り上げて欲しい」もしくは「こんなクルマを取り上げて欲しい」はたまた「こんなクルマを取り上げて欲しい」など、様々なご要望にお応えしていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします!!
では、そろそろ今日の一台を発表しましょうかしら。
はい、これ。
マツダファミリアバンです。しかも、デラックスです。
いいですねぇ。
初めに「良さ」が来て、後味に「良さ」が残ります。(今日はこんな感じ?)
いや、真面目な話、良いでしょ?
2018年現在、国産いや、自動車業界全体を眺め回して見て、マツダの自動車デザインはかなりトップランナーと言っていいクォリティを誇っていると思います。
それって今になって始まったことだったのか?
うんにゃ。
違いますね。
(バブルの時とか)結果的に業績に結びついてはいなかったと思いますが、カーデザインにおいてマツダデザインは常に良い線を行っていたのです。
具体例はあえて出しません。
みなさん胸に手を当てて思い出して見てください。
ほら。ね?
そうなんですよ。
マツダのデザイン戦略は時代や景気のバイオリズムに上手に乗ることができなかっただけで、いつでも一定以上のものを発表していたんです。
その不断の努力が、この新車不況と言われる現代において結実したと言えるのではないでしょうか。
えらい大上段だな。
まぁ「かっこいいものはかっこいい」ということですね。
今回は、考古学的な領域に踏み込んで見たときに、当時も果たしてかっこよかったのか?という検証をする回です。
では、見ていきましょう。
何でしょう。この手の込んだパネルの構成。
異形ヘッドランプ。
凝りすぎです。
誰かに似てますね。誰だろう?
この凝りまくったプレスライン。サクシードに爪の垢を煎じて飲ませたいですね。
(ちなみに、僕はサクシードのデザインが大好きです)
か、か、か、か、か、かっこいい!!!
か、か、か、か、か、か、もういいか。かっこいい!
窓が広いですね。
もう、撫で回したいですね。
当時のミニカーでもここまで綺麗には残っていないでしょう。
VWタイプ3バリアントに負けずとも劣らぬリアビュー。
がば。
この開きかた、憧れます。
内装を見ましょう。
いいですね。運転を楽しむために作られたクルマではありませんが、それはあくまで当時の基準。
こんなクルマを今乗ったら、楽しいに決まっています!
ドアを閉める音が聞こえてくるようです。
ホーンリングが上を向いてますね。プープー鳴らしまくれます。
160km/h出るの?ホントかな?
この走行距離!!ホントかな?
ベンチシートです。前席はちょっとヤレていますね。
クリーンなデザイン。
現車は大きくはありませんが、室内は広々。
肘掛付き。あ、タイヤハウスか。
この明るい室内!今のクルマでこんなのある?
いかにも整備性が良さそうなエンジンルーム。綺麗ですが、もっと綺麗にできそうですね。
エアクリーナーっていつから黒くなったんでしょうね?
ホイールキャップも残ってます。
走行距離も本当かもしれませんね。
シャシーに見える板バネが、このクルマの出自を思い出させてくれます。
さて、いかがだったでしょうか?
僕の子供の頃は結構街を走っていたクルマです。
当時のマツダを支えたキャロルは我が家のマイカーでした。
オート三輪もよく見たよなぁ。
こうやってみると、当時はクルマとして働いていたので、デザイン的にどうこうという感慨はあまり湧いていなかったと思います。
子供でしたし。
でも、改めて見てみると、いいデザインをしているということがわかります。
合理化を追求する現代のデザインでは忘れられてしまった、手数を増やしてでも会社の個性を出していこうとする意匠たち。
現在のように自動車メーカーの強弱が決定する前の戦国時代だった昭和中期のカーデザインを見ると切なくも胸踊るものがあるのはどうしてでしょう。
当初の趣旨としては、ここで同時代の他メーカーのプロダクトとマツダのデザインを並べて比較すべきなのですが、もうどうでもいいですね。
いいものは、いい。
以上!
さて、僕はこのクルマを20代のみなさんにオススメしたいと考えます。
自動車メーカーとしての黎明期に企画されたクルマを、人生の黎明期の人に使ってもらう。
無責任な思いつきのようですが、その通り。
無責任な思いつきです。
しかし、その中から得るものは大きいと思うのです。
では、また!