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ケベデ初優勝、女子はショブホワが制す ロンドン・マラソン日本勢振るわず

第30回ロンドン・マラソン(30th London Marathon)が25日、行われ、男子は北京五輪銅メダルを獲得したツェガエ・ケベデ(Tsegaye Kebede、エチオピア)が2時間5分19秒で初優勝した。



 2位には2時間6分23秒でエマヌエル・ムタイ(Emmanuel Kipchirchir Mutai、ケニア)、3位には2時間6分55秒でジャウアド・ガリブ(Jaouad Gharib、モロッコ)が入った。



 同五輪の金メダリストで前年大会優勝のサムエル・ワンジル(Samuel Wanjiru、ケニア)はひざを痛めて途中棄権した。



 日本勢は入船敏(Satoshi Irifune)が16位、松宮隆行(Takayuki Matsumiya)が23位だった。



 女子はリリア・ショブホワ(Liliya Shobukhova、ロシア)が2時間22分0秒で優勝した。



 2位には19秒遅れでインガ・アビトワ(Inga Abitova)が入り、ロシア勢がワンツーフィニッシュを果たした。3位には2時間22分38秒でアセレフェチ・メルギア(Aselefech Mergia、エチオピア)が続いた。



 日本勢は赤羽有紀子(Yukiko Akaba)が6位、小崎まりMari Ozaki)が9位に入り、尾崎好美Yoshimi Ozaki)は13位だった

宮里藍がシーズン5戦中3勝目 オチョア6位、トレスマリアス選手権 女王決定か!

女子ゴルフ米国ツアー第6戦、トレスマリアス選手権(Tres Marias Championship 2010)最終日。通算13アンダーの単独首位でスタートした宮里藍Ai Miyazato、日本)が、通算19アンダーでシーズン3勝目を挙げた。



 宮里は6アンダーの67でラウンドし、2位のステーシールイス(Stacy Lewis)に1打差をつけて優勝した。



 3位には2打差でミッシェル・ウィ(Michelle Wie、米国)が入った。



 この大会を最後に引退するロレーナ・オチョア(Lorena Ochoa、メキシコ)は、2アンダーの71でラウンドし、通算12アンダーの6位で終えた。



 宮里美香Mika Miyazato、日本)は通算11オーバーで69位だった。(c)AFP

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最終18番。外せばステーシー・ルイス(25)=米国=とのプレーオフだった4メートルのパーパットを、宮里藍はきっちり沈めた。カップから拾い上げたボールに「To Lorena」とサインして、敬愛する女王・オチョアに感謝の気持ちを込めて手渡した。



 「勝ったら渡そうと決めていた」



 18番グリーンで行われた英語での優勝スピーチ。感極まった藍の声が快晴の空に響いた。「ロレーナに感謝したい。これまでの4勝の中でも特別…」。涙が止まらず、聞いていたオチョアの目からも涙がこぼれた。



 3年間世界ランク首位に君臨してきたオチョアとは、ともに異国からツアーに挑む境遇が同じ。食事をしたり、試合でかぶる帽子の色まで相談されたりする=別項に詳細=仲となった。「情熱や国を思う気持ち、それに性格が似ているところがある」と宮里。メキシコの子どものため学校をつくるなど、社会貢献への姿勢も目標だった。



 予選ラウンドは、そのオチョアの指名で同組。「絶対に勝つ覚悟があった」と特別な思いで大会に臨んだ。



 1打リードの単独首位で迎えた最終日。同組は飛ばし屋のミシェル・ウィー(20)とブリタニー・リンシカム(24)=ともに米国。飛距離で後れを取りながら強風の中、確実なショットパットで対抗した。1番で1・5メートルのパットを沈めるバーディー。9番でイーグルウィーに一時首位を奪われたが、8番からの4連続と13、14番のバーディーで抜け出した。18番は第1打を左斜面ラフ落としたがパーパットを決めると、ひざまずきながら右こぶしを突き上げた。



 米女子ツアーで日本選手の年間3勝は、1988年の岡本綾子以来2人目。賞金19万5000ドル(約1833万円)を加え今季賞金ランクで曽雅●(=女へんに尼)(台湾)を抜いて、首位に再浮上した。オチョアからは「藍が素晴らしいプレーをしたから、この試合はちょっとしたチャレンジになった」と賛辞を贈られた。今季3勝すべてオチョアと初日同組だったのも、不思議な因縁だ。



 「ロレーナから学んだことを生かし、これからも勝ち続けたい」。はなむけの勝利を果たし、4日には今季国内3戦目「サロンパス杯」出場で凱旋(がいせん)帰国。新女王への道を、まず日本で踏み固める。

WBC王者のバレロ、妻を殺害し、拘置所で自殺 ベネズエラ

ベネズエラボクシングWBC世界ライト級王者エドウィン・バレロEdwin Valero)容疑者(28)が19日、妻を殺害した容疑で収容されていた拘置施設内で自殺を図り、死亡した。



 バレロ容疑者は、自身の衣服を裂いて作ったロープで首を吊っていたという。発見された時には、まだ生存していたが、病院に搬送された直後に窒息で死亡した。



 バレロ容疑者は北部バレンシア(Valencia)のホテルで前日、妻ジェニファーカロライナビエラ・デ・バレロ(Jennifer Carolina Viera de Valero)さんを刺殺した容疑で逮捕された。同容疑者も殺害を認め、警察に身柄を拘束されていた。(c)AFP

現役WBC世界ライト級王者のエドウィン・バレロ 妻の殺人容疑で身柄拘束

ボクシングWBC世界ライト級王者エドウィン・バレロEdwin Valero、ベネズエラ)が18日、妻を殺害した容疑で身柄を拘束された。



 ベネズエラ警察当局によると、バレロは同国バレンシア(Valencia)のホテルに滞在していたが、同日朝5時半にホテルのフロントに来て、警備員に「自室で起きたこと」を話したという。警備員がバレロの客室に駆けつけ、妻ジェニファーカロライナビエラ・デ・バレロ(Jennifer Carolina Viera de Valero)さんが数回刺されて倒れているのを発見。警察が自白に基づいてバレロを拘束、現在取り調べている。



 バレロは3月末、妻に暴行を加えた疑いで逮捕され、精神科病院に通っていた。



 プロ27戦無敗のバレロは2月、階級変更を希望しタイトル返上を申し出たが、世界ボクシング評議会(World Boxing Council、WBC)はバレロを休養王者として認定している

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★エドウィン・バレロ(Edwin Valero、男性、1981年12月3日 - )は、ベネズエラのプロボクサー。元WBA世界スーパーフェザー級チャンピオン、現WBC世界ライト級チャンピオン。

本名 エドウィン・バレロ

通称 KO Dinamita(ダイナマイト

Thunder(カミナリ)

階級 ライト級

身長 168cm

リーチ 175cm

国籍 ベネズエラ

誕生日 1981年12月3日(28歳)

出身地 ベネズエラ, メリダ州, ボレロアルト

スタイル サウスポー

プロボクシング戦績

試合数 27

勝ち 27

KO勝ち 27

負けなし

人物

試合開始直後から激しい突進で相手を倒しに行くスタイルから「KO Dinamita(ダイナマイト)」の異名を持っている。プロデビューから18戦連続初回KOという記録を持つ。初回KOの連続記録は途絶えたが、現在もデビューからの連続KO記録は続いており、これまで27戦全てでKO勝ちを記録している。



2012年まで帝拳プロモーションと契約し、一時東京を拠点にしていた時もあったが、現在はマネジメント等の問題により帝拳との契約を解消し、2009年2月にボブ・アラムが主催するトップランク社に移籍し、米国に拠点を移していた。しかし、2009年9月母国に一時帰国後、米国に再入国のビザ発給を拒否され、現在試合枯れでトップランク社との契約継続も危ぶまれている。



来歴

2002年7月9日に20歳でプロデビューした。デビュー戦は初回TKO勝利で、その後も1回KO勝利を続けていくが、12連続初回KO勝利後の2004年に米国ニューヨーク州コミッションのMRI検査で試合直前に脳に異常が発見され(2001年に起こしたバイク事故の後遺症)、ライセンス停止処分を受け、2004年初頭からブランクを余儀なくされる。



しかし、コミッション以外の検査では異常が発見されず再起を目指していたところで、帝拳プロモーションの本田明彦会長の目に留まり、試合のできない米国以外での再起を勧められ、帝拳プロモーションと契約し、再起。再起後も1年半近いブランクを感じさせないファイトで、2006年2月25日にはプロデビューから18戦連続初回KO勝利を達成。すでに少し前から、対戦相手を探すのが困難になるほどだった。初回KOの記録が途絶えたのは2006年3月25日神戸での試合だった(2回TKO勝利)。
2006年8月5日にはWBA世界スーパーフェザー級チャンピオンのビセンテ・モスケラ( パナマ)に挑戦し、10回TKO勝利でタイトルを獲得、20戦連続KO勝ちとなった[2]。タイトル戦まで全ての試合を2回以内で決着付けていたため、バレロのスタミナや打たれ強さを疑問視する声も試合前にはあったが、打たれ弱さは露呈したものの、途中ダウンを奪われながらも10回には持ち前の力強い連打を繰り出すという、スタミナ面の不安は払拭したといえる勝利だった。



2007年1月3日、有明コロシアムで王座初防衛戦を行い、ミチェル・ロサダ( メキシコ)に1回1分12秒KO勝ちを収め、21戦連続KO勝ちとなった。



2007年5月3日、有明コロシアムで王座2度目の防衛戦を行った。これは指名試合だったが、WBA1位のマニー・パッキャオフィリピン)はWBC王座挑戦を念頭に置きつつアメリカでのビッグマッチを計画中のため、WBA2位の本望信人角海老宝石ジム)が繰り上がり挑戦者となった。8回1分54秒負傷TKO勝ちで、22戦連続KO勝ちとなった。



2007年12月15日、メキシコ・カンクンで王座3度目の防衛戦を行い、サイドサバレタ( メキシコ)に3回1分18秒TKO勝ちを収め、23戦連続KO勝ちとなった。



当時の戦場であったスーパーフェザー級は、マニー・パッキャオだけでなく、ファン・マヌエル・マルケスマルコ・アントニオ・バレラ(共に メキシコ)とスター揃いで、本人も彼らとのビッグマッチを望んでいた。



2008年3月下旬に米国テキサス州コミッションでライセンス認可されていることが明らかになり、米国でのビッグマッチ出場の希望も出てきた(ただし、ニューヨーク州コミッションのサスペンデッドは現状では解除されておらず、テキサスニューヨーク州以外での試合出場は、現状では米国各州コミッションのその場での判断による不透明な状況である)。



2008年6月12日、日本武道館に於いて嶋田雄大ヨネクラジム)を挑戦者に迎え、WBA王座4度目の防衛戦を行った。試合は7回1分55秒TKO勝ちを収め、24戦連続KO勝ちで4度目の防衛を果たした。



その後、2008年9月4日にライト級転向するため、王座を返上した。



2009年4月4日、アメリカ合衆国テキサス州アントニオ・ピタルアとWBC世界ライト級王座決定戦で対戦。2回TKO勝ちを収め、25戦連続KO勝ちで2階級制覇を達成した。



2009年11月14日のマニー・パッキャオ vs. ミゲル・コットの前座カードとしてウンベルト・ソトとの対戦が予定されていたが、米国から滞米ビザ発給を拒否され断念した[6]。



2009年9月24日の夜、酔っ払った後に金銭トラブルがきっかけで暴力をふるい逃走。その後、現地の警察官に取り押さえられて逮捕された。



2009年12月19日、自国ベネズエラにてヘクターベラスケスを相手にWBC世界ライト級王座の初防衛戦に挑み、6回TKO勝ちで初防衛に成功。26戦連続KO勝ちとなった。



2010年2月6日、メキシコにて暫定王者アントニオ・デマルコとの王座統一戦に臨みデマルコ陣営が9回終了後ギブアップ、王座統一と共に2度目の防衛に成功。27戦連続KO勝ちとなった。この直後にスーパーライト級への転向を希望して同王座を返上したが、WBCのホセ・スライマン会長からは2010年2月9日付でライト級休養王者として認定された。



2010年4月19日、妻を殺害した容疑で逮捕。



獲得タイトル

WBA世界スーパーフェザー級王座

WBC世界ライト級王座

マルチナ・ナブラチロワ(53才)さんが乳がん告白、女子テニス元世界ランキング1位

女子テニス世界ランキング1位のマルチナ・ナブラチロワ(Martina Navratilova)さん(53)が7日、米ABCテレビの番組で、乳がんと診断されたことを告白した。



 ナブラチロワさんはABCテレビの『グッドモーニングアメリカ(Good Morning America)』に出演。2月の定期健診でマンモグラフィー検査を受け、左の乳房にしこりがあることが発覚したことを明らかにした。すでに腫瘍(しゅよう)摘出手術を受け、5月から放射線治療を開始するという。医師によるとリンパ節への転移はなく、再発の可能性は「非常に低い」という。



 診断結果を聞いたときは「個人的な9.11(米同時多発テロ)に遭ったような気持ちだった」とナブラチロワさん。がんと診断された後に泣いたと、心境を語った。



 当初は病気について公表するつもりはなかったが、他の女性たちに健診の重要性を訴えることができればと思い、発表に踏み切ったという。



 ナブラチロワさんはウィンブルドン(Wimbledon)選手権9勝を含む世界4大大会シングルスで通算18勝を果たした往年のスター選手。

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★マルチナ・ナブラチロワ(Martina Navrátilová, 1956年10月18日 - )は、チェコスロバキア(当時、現在チェコ共和国プラハ出身の女子プロテニス選手。ウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録(9勝)、WTAツアーの最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)など、数々の歴史的な記録を樹立した名選手である。4大大会シングルス通算「18勝」はライバルクリス・エバートと並ぶ女子歴代4位タイ記録。左利きの選手で、ネットプレーを最も得意にしている。



1975年に祖国を離れてアメリカに亡命し、1981年に米国市民権を取得したが、2008年1月9日にチェコ国籍を再取得、現在は二重国籍である。



人物

生まれた時の名前は「マルチナ・シューベルトワ」といったが、3歳の時に実の両親が離婚、その後母親がミロスラフ・ナブラチルと再婚したことから、継父の姓の女性形を名乗って「ナブラチロワ」になった。1975年に共産主義国のチェコスロバキアを離れてアメリカに亡命する。1978年のウィンブルドン選手権で4大大会初優勝を果たしたが、当時はまだチェコスロバキア国籍であった。1981年7月に米国市民権取得を果たす。この年に全豪オープンで初優勝を果たし、ここからの優勝はアメリカ国籍になる(全豪オープンは1985年まで12月の年末に開催されていた。現在のような1月開催になったのは1987年の大会からであり、1985年12月 → 1987年1月と開催時期の変更がなされたため「1986年全豪オープン」は“開催せず”の空欄となっている)。



初期のナブラチロワには精神面の弱さや亡命問題のストレスなどがあり、選手としての開花は25歳を過ぎてからであったが、1981年の全豪オープン優勝を契機に無敵の強さを発揮し始める。1982年に全仏オープンとウィンブルドン選手権を制覇して4大大会3連勝。この年からウィンブルドン選手権に前人未到の「6連覇」が始まる。1983年のウィンブルドン選手権から1984年の全米オープンまで、2年間にまたがる4大大会「6連勝」を達成。しかし年末開催の全豪オープン準決勝ヘレナ・スコバに敗れ、“年間”グランドスラムを逃してしまう(4年後の1988年にシュテフィ・グラフが年間グランドスラムを達成したため、ナブラチロワの2年間にまたがる記録は「グランドスラム」認定から取り消された)。1987年にウィンブルドン選手権で6連覇を達成。この時から彼女は1938年に同選手権「8勝」を挙げた往年の名選手、ヘレン・ウィルス・ムーディの記録を更新する目標を掲げた。しかし1988年の同選手権決勝で19歳の新女王シュテフィ・グラフに敗れ、大会7連覇を逃した。グラフには1989年の決勝でも敗れている。1990年の決勝戦で黒人選手のジーナ・ガリソンに完勝し、宿願のウィンブルドン選手権「9勝」を果たす。52年間大会歴代1位であったムーディの記録は、こうして破られた。



1994年を「シングルス最後の年」と位置づけたナブラチロワは、あまり得意ではないクレーコートの全仏オープンに6年ぶりの参加を決めたが、1回戦敗退に終わる。最後のウィンブルドン選手権では4年ぶりの決勝に進出したが、スペインのコンチータ・マルチネスに敗れて大会10勝目を逃した。同年11月の女子ツアー年間最終戦「バージニア・スリムズ選手権」において、女子テニス選手として初めての「引退式典」がナブラチロワの偉業を讃えて開催された。38歳に至るまで第一線で活躍したナブラチロワは、世界ランキング4位で現役を退いた。



1997年に史上最年少で世界ランキング1位になったマルチナ・ヒンギスが、「ナブラチロワにあやかって」命名されたことはよく知られている。



2010年4月7日、雑誌「People」で乳がんであることを告白した。



ダブルス選手

ナブラチロワはダブルス選手としても、様々なパートナーたちと組んで数々の歴史的な記録を残してきた。キャリアの初期にはビリー・ジーン・キング夫人と組むことが多く、後にパム・シュライバーと組んで4大大会の女子ダブルスに「20勝」を記録した。2人のペアは1983年ウィンブルドンから1985年全仏オープンまで4大大会に「8大会連続優勝」を飾り、1983年 - 1985年にかけて女子ダブルス「109連勝」の記録を樹立する。前人未到の大記録は、1985年のウィンブルドン女子ダブルス決勝で止まった。2人の連勝記録を止めたのは、キャシー・ジョーダン(アメリカ)&エリザベス・スマイリーオーストラリア)組であった。



1994年にシングルスの第一線から引退した後、ナブラチロワは6年後の2000年全米オープンでダブルスに現役復帰を果たす。ダブルス復帰から3年後、2003年全豪オープンと2003年ウィンブルドンの混合ダブルスで、インドリアンダー・パエスと組んで優勝した。全盛時代のナブラチロワは全豪オープンの混合ダブルス部門だけ優勝がなかったため、これで彼女の「ボックス・セット」(Boxed Set)が完成した。(ボックス・セット=テニス用語で、テニス4大大会のすべてにおいて、男女シングルス・男女ダブルス・混合ダブルスの3部門に「キャリア・グランドスラム」を達成すること)彼女の4大大会初タイトルであった1974年全仏オープンの混合ダブルス部門から数えて、実に29年がかりで達成した「ボックス・セット」であった。ボックス・セット完成から3年後、ナブラチロワは2006年全米オープンの混合ダブルス部門で、ボブ・ブライアンとペアを組んで決勝に進出する。ナブラチロワとB・ブライアンマルティン・ダムクベタ・ペシュケ組(ともにチェコ)を 6-2, 6-3 で破り、最後の舞台を優勝で飾った。
社会運動での業績

ナブラチロワは数々の政治運動や社会運動に積極的に関わっている。著書Being Myself』の中で、レズビアンであることをカミングアウトして以来、差別と自己否定に苦しむLGBT若者たちを勇気づける講演活動を続けている。コロラド州がLGBTの権利を否定する憲法修正条項の導入を計画した時、ナブラチロワはこれを阻止するための集団訴訟の原告団に名前を連ね、メディアを通じて反対運動を展開した。このような業績が認められ、2000年に人権団体ヒューマンライツキャンペーン」から表彰を受けている[3]。



ナブラチロワは動物愛護運動でも知られている。世界最大級の動物愛護団体動物の倫理的扱いを求める人々の会」の活動に従事し、完全な菜食主義者であることを公にしていた。しかし、2006年にトークショーで、タンパク質補給のために必要最小限の魚を食するようになったことを認め、菜食主義を貫きながらアスリートであり続けることの難しさを語った。



4大大会優勝



パラグアイの切手 女子シングル

全豪オープン:3勝(1981年・1983年・1985年)

全仏オープン:2勝(1982年・1984年)

ウィンブルドン:9勝(1978年&1979年・1982年-1987年・1990年) [大会歴代1位、6連覇を含む]

全米オープン:4勝(1983年・1984年・1986年・1987年)







年 大会 対戦相手 試合結果

1978年 ウィンブルドン クリス・エバート 2-6, 6-4, 7-5

1979年 ウィンブルドン クリス・エバート・ロイド 6-4, 6-4

1981年 全豪オープン クリス・エバート・ロイド 6-7, 6-4, 7-5

1982年 全仏オープン アンドレア・イエガー 7-6, 6-1

1982年 ウィンブルドン クリス・エバート・ロイド 6-1, 3-6, 6-2

1983年 ウィンブルドン アンドレア・イエガー 6-0, 6-3

1983年 全米オープン クリス・エバート・ロイド 6-1, 6-3

1983年 全豪オープン キャシー・ジョーダン 6-2, 7-6

1984年 全仏オープン クリス・エバート・ロイド 6-3, 6-1

1984年 ウィンブルドン クリス・エバート・ロイド 7-6, 6-2

1984年 全米オープン クリス・エバート・ロイド 4-6, 6-4, 6-4

1985年 ウィンブルドン クリス・エバート・ロイド 4-6, 6-3, 6-2

1985年 全豪オープン クリス・エバート・ロイド 6-2, 4-6, 6-2

1986年 ウィンブルドン ハナ・マンドリコワ 7-6, 6-3

1986年 全米オープン ヘレナ・スコバ 6-3, 6-2

1987年 ウィンブルドン シュテフィ・グラフ 7-5, 6-3

1987年 全米オープン シュテフィ・グラフ 7-6, 6-1

1990年 ウィンブルドン ジーナ・ガリソン 6-4, 6-1



女子ダブルス

全豪オープン:8勝(1980年/1982年-1985年・1987年-1989年) [1986年の全豪オープンは開催せず。したがって大会7連覇]

全仏オープン:7勝(1975年・1982年・1984年-1988年) [大会5連覇を含む]

ウィンブルドン:7勝(1976年・1979年/1981年-1984年・1986年) [シュライバーとの4連覇を含む]

全米オープン:9勝(1977年・1978年・1980年/1983年・1984年・1986年・1987年/1989年・1990年)

混合ダブルス

全豪オープン:1勝(2003年)

全仏オープン:2勝(1974年・1985年)

ウィンブルドン:4勝(1985年・1993年・1995年/2003年)

全米オープン:3勝(1985年・1987年/2006年)

テニス4大大会女子シングルス優勝記録

順位 優勝回数 選手名

1位 24勝 マーガレット・スミス・コート

2位 22勝 シュテフィ・グラフ

3位 19勝 ヘレン・ウィルス・ムーディ

4位タイ 18勝 クリス・エバート | マルチナ・ナブラチロワ

6位タイ 12勝 ビリー・ジーン・キング |* セリーナ・ウィリアムズ |

スザンヌ・ランラン (注:国際大会以前の全仏選手権6勝を含む)

9位タイ 9勝 モーリーン・コノリー | → モニカ・セレシュ

*は現役選手