【起稿2026年8月30日】

あるブロガーさんが今日未明に作成し(下書き入力)投稿された記事を読んで、天文学好きも相まって、かつて明らかにした私の志向が刺激されました👇


そのブロガーさんの記事では...
「約138億年前にビックバンが起きた時に、一柱の神様がいらっしゃった様です。
その神様は、真の神様・天之御中主神様のようです。
天之御中主神様は我々人間を造り、地球上の全ての生き物を生かして下さっている宇宙で唯一無二の神様です。
天之御中主神様は、北極星におわします。
無からものを造り出せるのは、天之御中主神様しかおりません。」
...という趣旨を述べられています。
更に...
「北極星におわします天之御中主神様ですが、地球からは光の速さで431年かかるそうですが、我々が、見ている北極星は431年前の光という事になります。」
...という趣旨の天文学的な説明まで添えられていました。

しかし、ここで一つ、根本的な問題があります。
天文学用語を少し混ぜれば、その話が科学的になるわけではありません...
「ビッグバン」、「138億年」
、「北極星」、「431光年」※という言葉を並べても、それぞれの概念が正しく理解され、互いに矛盾なく結びついていなければ、それは宇宙論ではありません。
単に、科学用語を信仰の説明に貼り付けているだけです。
※このブロガーさんは地球から北極星までの距離(「光の速さで~年かかる」=光年)をどこから知り得たのか、「431光年」と書いておられますが、「431光年」は古い観測結果を元に、NASAや英国王立博物館グリニッジ天文部門が公開しているもので、よく引用されてはいますが、太陽系から現在の「北極星」であるポラリス星系までの距離は、近年のGaia衛星による測定で、約447~448光年とする値が有力であり、私には疑問があります👇


そして、あえて言いますが、この記事の「北極星におわします唯一神」という説明は、仮に天御中主尊(天之御中主神)が実在するとしても、現代天文学とは整合しません。

私は今回、「天之御中主神様など存在しない」と言っているのではありません。
むしろ逆です。
「本当に天御中主尊(天之御中主神)が宇宙を創造した唯一無二の神として実在すると仮定しても、この説明には問題がある。」という話なのです。

まず、最も基本的な問題です。
ビッグバンの時、現在の北極星は存在していません...

約138億年前にビッグバンが起こった。
その時、「唯一神である天之御中主神様がおられた。」
ここまでは、信仰として語るのであれば、科学が直接否定することはできません。
神は、宇宙の外側にいたのか?
神は、時間そのものを超越していたのか?
神は、ビッグバンを起こしたのか?
こうした問題は、現在の科学では検証できない領域です。
ところが、その直後に、
「その神様は北極星にいらっしゃる。」という話を結びつけると、話は変わります。
なぜなら、現在の北極星(ポラリス)は、ビッグバンの時には存在していなかったからです。
これは信仰の問題ではありません。
天文学の問題です。
ビッグバン直後の宇宙には
、現在のような恒星はありません。
そもそも宇宙が誕生した直後には、現在のような原子すら存在していませんでした。
宇宙は高温状態から冷え、原子が形成され、ガスが集まり、その後、最初の恒星が誕生しました。
そして現在の北極星は、その宇宙史のはるか後に誕生した一つの恒星です。
したがって、「約138億年前のビッグバンの時から、天之御中主神様は北極星にいらっしゃった。」という意味なら、それは成立しません。
北極星そのものが、まだ存在していないのですから。
神様が存在するかどうかとは関係ありません。
仮に神様が実在しても、存在していない星に「住んでいた」ことにはならないでしょう。
これは神を否定しているのではありません。
話の中の時系列が破綻している、と言っているだけです。

さらに、「北極星」という言葉から誤解しているように思われる点があります。

北極星とは、宇宙の北の端にある星ではありません。
宇宙に「絶対的な北」という方向があるわけでもありません。
北極星とは、地球の自転軸を北へ延長した方向に、現在たまたま近い位置にある恒星です。

つまり、「北極星」という名称は、地球人の視点から付けられたものです。
もっと正確に言えば、地球という惑星が存在し、地球が現在の方向に自転軸を向けているから、ポラリスという恒星を「北極星」と呼んでいるにすぎません。

ここで少し考えてみてください。
仮に天御中主尊(天之御中主神)が宇宙を創造した唯一無二の神であるなら、その神様がご自身の居住地を
「地球という惑星から見て、地球の自転軸の北側に見える恒星」とすることに、どれほどの宇宙的必然性があるのでしょうか?

これは、あまりにも地球中心的な発想ではないでしょうか。
宇宙で唯一無二の神様の居住地を宇宙全体の基準※ではなく、地球という小さな惑星の自転軸で決めているのです。
※天文学好きな私としては
、もし「宇宙の唯一無二の神様は『M87銀河』の中心におられる。」という話であれば、納得したかもしれません。
何故なら、広大な宇宙の中で、少なくとも天の川銀河の属する宙域の重力的中心は、おとめ座銀河団のボスM87銀河ですから👇


しかも、地球から見た北極星の位置に関係している自転軸自体が、永遠に同じ方向を向いているわけではありません。
ポラリス星系は永遠に北極星ではありません。
地球の自転軸は、非常にゆっくりと方向を変えています。
そのため、数千年、数万年という時間が経過すれば、ポラリス星系は北極星ではなくなります。
過去には、別の星が北極星の役割を果たしていました。
未来には、また別の星が北極星になります。

つまり、「北極星におわします」という主張を文字どおり受け取るなら、困った問題が生じます。
天之御中主神様は、地球の自転軸の変化に合わせて、別の恒星へ引っ越しをされるのでしょうか?
もちろん、これは揶揄のためだけに言っているのではありません。
主張を文字どおり受け取れば、当然生じる疑問です。
「現在の北極星に神様がいる。」と言うのであれば、数千年後に北極星ではなくなったポラリスから、神様は移動するのでしょうか。
それとも、神様はポラリスにとどまり続けるのでしょうか。
後者なら、「北極星にいらっしゃる。」という表現は、そのうち事実ではなくなります。
前者なら、宇宙唯一無二の創造神が、地球の自転軸の歳差運動に合わせて住所変更するという、何とも奇妙な話になります。

こうした基本的な問題を考えずに、「北極星=神様の居住地」と主張するのは、あまりにも安易ではないでしょうか。

もしこの記事が信仰を科学的に説明しようとする試みならば、よく科学的根拠も調べ無いと、説明は破綻してしまいます。

宇宙を創造した神様を、なぜ一つの恒星に閉じ込めるのか
ここが、天文学好きの私には、最も理解できないところです。
仮に天之御中主神様が、本当に宇宙を創造した唯一無二の神であるとしましょう。
138億年にわたる宇宙の歴史。
無数の銀河。
無数の恒星。
無数の惑星。
そのすべてを創造した神様です。
その神様を、
「地球から431光年ほど離れた、一つの恒星(正確には現在の北極星は多重星系)に住んでいる存在」
としてしまう。

これは、神様を偉大にしているのでしょうか?
それとも、逆に小さくしているのでしょうか?

宇宙創造神であるなら、北極星が誕生する以前から存在していたはずです。
地球が誕生する以前から存在していたはずです。
太陽が誕生する以前から存在していたはずです。
銀河が形成される以前から存在していた、と考える事もできるでしょう。
そのような存在を、後から誕生した一つの恒星の上に「お住まいです」と限定する。
これは、神の偉大さを説明しているのではありません。
人間が理解できる範囲の「居住地」を、勝手に神様に割り当てているだけではないでしょうか?

昔の人間が空を見上げて、「あの動かない星は特別な神の座だ」と考えた。
それなら、古代の宇宙観として理解できます。
しかし、現代に生きる私たちは、北極星がどのような天体なのかを知っています。
それでもなお、「神様は北極星に住んでいます」と、あたかも天文学的事実であるかのように語るのであれば、そこには説明責任が生じるでしょう。

信仰として語るなら自由です。
しかし科学として語るなら話は別です
私は、「北極星は神聖な星である」という象徴的な表現まで否定するつもりはありません。
宗教や神話には象徴があります。
詩的な表現があります。
北極星を神の象徴(あるいは居住地)として語ることは自由です。
しかし、「神話的な象徴」と「天文学的な事実」を混同してはいけません。
「北極星は天之御中主神様を象徴する星である」
という信仰上の表現なら、それは信仰です。
ナノバナナ2作画

ところが、「ビッグバンの時から、唯一神は北極星にいらっしゃった。」という形で、科学的な事実であるかのように語り始めれば

、当然、科学的検証の対象になります。


そして検証すればするほど、問題が出てくるのです。
ビッグバンの時、現在の北極星は存在していない。
北極星は宇宙の中心ではない。
北極星は地球の自転軸を基準にした相対的な名称である。
現在の北極星も永遠に北極星ではない。
これだけでも、「北極星に唯一神がおわします。」という主張を、科学的事実のように扱うことには無理があると分かります。

神様を信じるなら、科学的な誤りまで神聖化してはいけない。

ここで最も危険だと思うのは、信仰を持つことではありません。
問題なのは、「これは神様から教えていただいたことだから、間違っているはずがない。」という考え方です。
そうなると、天文学的な事実との矛盾が明らかになっても、話を修正できなくなります。

北極星がビッグバンの時に存在していなかった。
しかし神様から教えられたから正しい。
地球の歳差運動によって北極星が変わる。
しかし神様から教えられたから正しい。
そうやって、観測可能な現実よりも、検証不能な「神様からの情報」を上に置いてしまえば、どんな誤りでも修正できなくなります。
これは、信仰を守っているようでいて、実際には信仰を危険なものにしているのではないでしょうか。

なぜなら、神様の存在を信じることと、人間が神様について語った内容がすべて正しいことは、まったく別だからです。
神様が存在するとしても、神様について語る人間は間違える。
これは、ごく当たり前のことです。
むしろ、人間が間違える可能性を認めない宗教論こそ、危ういのです。

仮に天之御中主神様が実在するなら、このブロガーさんの記事の説明の方が、神様を侮っているのではないでしょうか?

ここで私は、あえて信仰者の側に立って考えてみたいと思います。
本当に天之御中主神様が存在するとしましょう。
本当に宇宙を創造した唯一無二の神であるとしましょう。
そのような存在について、「地球から431光年離れた現在の北極星に住んでいる。」と、人間が勝手に居住地を指定し、「ビッグバンの時からそこにいた。」と、北極星がまだ存在していない時代まで話を遡らせ、さらに天文学用語を並べて、その説明を「事実」として人々に広める。

果たして、それは神様を尊敬していることになるのでしょうか?
それとも、人間が作った宇宙観を神様の名前で権威づけているだけなのでしょうか?
私には、後者に見えてなりません。
仮に天之御中主神様が実在するのであれば、その神様は、人間の天文学的な誤解を守るために存在しているわけではないでしょう。
神様を信じることは自由です。
唯一神を信じることも自由です。
天之御中主神様を宇宙創造神として信仰することも自由です。
しかし、その自由と、科学的に間違った説明を「神様から教えていただいた真実」として広める自由は、同じものではありません。


神を信じるなら、神の名を借りて誤った宇宙論まで絶対視する必要はありません。
むしろ、仮に神が宇宙を創造したのであれば、その宇宙について人類が観測し、研究し、少しずつ理解してきた事実を尊重すべきでしょう。

繰り返します...
北極星は宇宙の中心ではない。
「ビッグバンの時から唯一神は北極星におわす。」
という説明は、天文学的には成立しません。
神が存在しても、人間は間違えます。
神が存在しても、人間が神について語った内容がすべて正しくなるわけではありません。
そして何より、「神様から教えられた」と言えば、天文学的な矛盾まで消えるわけではありません。


最後に、「そのブロガーさんの話を私が誤解している可能性」を検証したいと思います。

もしかしたら「宇宙形成後に天之御中主神様は北極星へ移られた。」のでしょうか?

「ビッグバンの時には北極星は存在していなかった。しかし、宇宙が形成された後、天之御中主神様は北極星に移られたのだ。」
もしそうであれば、話は一見、矛盾が解消したように見えます。
「北極星が存在しなかった時代から北極星にいた。」という明白な時間的矛盾は避けられるからです。

しかし、残念ながら、それで問題が解決したわけではありません。
むしろ、新しい問題がいくつも生まれます。
まず、最も単純な質問があります。
いつ、天之御中主神様は北極星へ移られたのでしょうか?

ビッグバンの直後ではあり得ません。
現在の北極星そのものが存在していないからです。
では、北極星が誕生した直後でしょうか。
それとも、地球が誕生した後でしょうか。
あるいは、人類が北極星を特別な星として認識するようになってからでしょうか。

神様が北極星へ移られた時期が特定できなければ、「北極星にいらっしゃる」という主張は、整合性がとれなくなります。

また仮に、「天之御中主神様が宇宙形成後、ある時期に北極星へ移られた。」としましょう。
では、なぜ北極星なのでしょうか?
宇宙には恒星が無数にあります。
銀河も無数にあります。
その中で、なぜ現在の北極星なのでしょうか?
「地球から見ると特別な星だから。」という理由であれば、それは神様の側の理由というより、人間の側の都合です。

北極星が特別に見えるのは、地球の自転軸を基準にしているからです。
地球以外の惑星に住む知的生命体がいたとして、その惑星の自転軸を基準にすれば、当然、別の「北極星」が存在するでしょう。
宇宙創造神が、地球という一惑星の自転軸を基準として、
「ここを自分の住所とする」
と決めたというのでしょうか?
この問題は、前述の「最初から北極星におられた場合」より、宇宙形成後に北極星が選択されたならば、より厳しく問われます。

私は自らを「信仰心の不足している『俗物』なのでは?」と思っていますので、うっかりこのブロガーさんを「預言者」、「巫祝」、「語り部」と解釈してこの記事を書いてしまいましたが、そう言えばこのブロガーさんは、時々、「私は、天之御中主神です。」と書いておられました。

つまり、自らを神だとおっしゃる訳です。

もちろん、ここでも私は、その主張を最初から否定するという議論はしません。
もしかしたら、初めに紹介した記事を神が書いたのかもしれません。
すると、どうなるのでしょうか。

普通に考えれば、むしろ問題はさらに大きくなります。

なぜなら、単なる一般人が天文学を誤解しているのであれば、「知識不足だった。」という説明も可能だからです。

しかし、自らを神と称する人物が、
「宇宙唯一無二の神は北極星にいる。」
「ビッグバンの時から存在している。」
と断定するのであれば、その発言は単なる個人的見解(神意解釈)では済まなくなります。

まして、自身が神であり、あるいは神的な存在であると主張するのであれば、宇宙の成り立ちについて語る知識は、私のような普通の人間以上に正確であって当然ではないでしょうか?
ところが、実際にはどうでしょう。
ビッグバンの時、現在の北極星は存在していません。
北極星は宇宙の中心ではありません。
北極星という名称そのものが、地球の自転軸を基準にした相対的なものです。
しかも、地球の自転軸の方向は長期的に変化するため、現在の北極星も永遠に北極星ではありません。
これは、神秘的な高等知識を必要とする話ではありません。
私のような、高卒の単なる天文学好きでさえ知り得る天文学の基本的知識です。
そこで、素朴な疑問が生じます。
もし本当に神であるならば、なぜ宇宙の歴史について、人間が後から観測と研究によって確認した基本的な事実と矛盾するのでしょうか ?
神であれば知らなかった、という事は無いのでしょう...
神であれば勘違いした、という事も無いのでしょう...
神であれば、誰かから間違った情報を聞かされた、という事も無いのでしょう...

「自分は神」という宣言は、その他の発言の免責にはならない。

ここで最も重要なことがあります。

「自分は神である。」と名乗ることは、その発言を検証しなくてよい理由にはなりません。むしろ逆です。
その人物が単なる一人間であれば、「そう考えているのですね...」で済むこともあります。

しかし、自分を神と称し、その立場から宇宙、人類、国家、歴史、世界平和について断定的な発言をするのであれば、その発言は当然、より厳しく検証されるべきです。

なぜなら、「私は神だ」という言葉は、単なる自己紹介ではないからです。
そこには、「私の言葉には特別な権威がある。」という意味が含まれるからです。

そして、もしその特別な権威を根拠として、人々に歴史観や世界観、国家観、宗教観を受け入れるよう求めるのであれば、なおさら検証は必要になります。
「神様がそう言っている」
という主張は、便利な万能カードではありません。

むしろ、その瞬間から、こう問われることになります。
本当に神なら、なぜ確認可能な事実について間違えるのか?

ここで「神様から教えられた」と言えば、話はさらに複雑になります。
このブロガーさんのブログを読んで不思議なのは、自分自身を神と称するのに、別の「真の神様」から教えられた、という形で情報を語っている場合がある事です。
「神様として語る場合」と「神様から聞いた話を語る場合」があるのは何故なのか?

自分が神であっても、間違いが真実に変わるわけではありません。
北極星がビッグバンの時に存在していなかったという事実は、誰が発言したかによって変わりません。
地球の自転軸が歳差運動をしているという事実も、発言者が神を名乗ったからといって変わりません。
北極星が宇宙の中心ではないという事実も同じです。
自然界は、肩書きに忖度しません。
宇宙は、「自分は神だ」と名乗った者に合わせて法則を変更してくれません。

信仰は本来貴いものだと考えますが、信仰に科学的権威を持たせようとしてはなりません。

科学を成り立たせている考え方の一つに「反証可能性(科学的主張は検証可能な形にする)」という事があります。
この考え方は信仰とは相容れ無い考え方です。
「宇宙の唯一無二の神様が北極星にいる。」という話を、単なる信仰としてだけでは無く、科学的に裏付けようとするならば、「信じるか、信じ無いか」という信仰の世界の話では済まず、科学的検証に耐えられ無ければならないのです。

「人様のブログに、ここまで噛みつか無くても...」と思いましたし、噂ではこのブロガーさんはかなりご高齢の方のようですが、「地球から北極星まで431光年」という記述は中々勉強されていると感じましたが、私は、天文学、歴史(特に日本史、東洋史)が好きで、これらに誤りのある記述を見つけると、ついつい熱を帯びてしまいます。
私としては、この記事の論理構築が良い高次脳機能障害リハになりました。ネタを頂きありがとうございます🙇