再放送の『べらぼう』を観ていて、不安になってきた。

 

新之助の土饅頭の前で、憔悴し涙する蔦重の肩をやさしく抱きしめるのは……

 

 

さっそく前日にupした『いつも心にHOPE&DREAMS』を見てみると、

 

やっぱり間違って写楽となっていた。ほんとうは歌麿であるのに……。

 

さっそく訂正し、謝罪文を加筆したけれど、

 

この間違いは、今風に言えば❝ 恥ずい ❞というのだろうか、赤面ものである。

 

ただ、間違いは謝って、訂正することができるが、

 

果たして、自分の小細工は通用しているのだろうかという不安が募る。

 

自分の小細工は半世紀以上昔の流行りだったり、

 

落語、漫才、映画からのものが多く、ジェネレーションギャップの前には、

 

意味のない文字、通じないフレーズであるのかもしれないと、

 

気づいてしまったのである。

 

そこで前日にupした『いつも心にHOPE&DREAMS』を検証してみることにした。

 

 

『明日へ』

 

 ↓    最後のロングトーンの後に倒れるんじゃないかと気がかりである。  

 ↓    実際、長鳴鶏にも貧血で倒れることもあるし、misiaさんも倒れた。

 

『地平線の向こう側へ』

 

 ↓    この倒れ込みは演出で、12分のパフォーマンス後の呼吸を整えている。

 ↓    長鳴鶏には日本三鳴鶏というのがあり、東天紅・唐丸・声良。

 

『HOPE&DREAMS』

 

 ↓    唐丸(とうまる)という名の長鳴鶏は唐(からまる)を連想する。

 ↓    唐丸はボーイズラブで、江戸時代から日本は多様性があった。

 

 

一応、三つの歌を鶏繋がりで紹介してみましたが、これはまあ良しとしましょう。

 

問題なのは、いわゆる小細工である。

 

例えば、

 

「姐さん、ゆっくり休んでください! サケはお慕い申し上げます。」

 

というセリフの、サケはお慕い申し上げます。が小細工になります。

 

このセリフは、misiaさんが主題歌『逢いたくていま』を書き下ろしたテレビドラマ

 

『JIN-仁-』の最終回で、現代に戻った医師の南方仁に宛てて書かれた手紙であり

 

 

もう名前も忘れてしまい、顔も思い出せないほど日々薄くなっていく記憶の中で、

 

確かにいらっしゃった……〇〇先生へ、と気持ちを伝えるために書いた恋文であり、

 

橘咲は、先生をお慕い申しておりました。と締めくくられている。

 

それの引用である。

 

であれば、サチであってサケ間違えてるよ、というかサケってなんやねん!

 

となるのですが、これは間違いではないのです。

 

サケはお慕い申し上げます。というのはmisiaさんに対する私の気持ちであって、

 

プロフィールのところを見てもらえればわかるように、つまりパンダの下に

 

amesake-otoko  となっておりますように、

 

私は、アメブロのサケ男ということでしてサケで間違ってないのですよ。

 

まあ、気付かれない小細工です。自己満足の小細工。

 

それから、

 

        頭の先までピーコピコ! 

 

というのは古い漫才師さんのギャグなのですが、これはなんとなくわかりますよね。

 

やっぱり、問題はここでしょうか?

 

   ということは、その逆で、大奥は大奥で、やっぱり有馬温泉かい?

   「ひと山越えればすぐそこに」やからね。

 

つまり、

 

   当時は、男色(ボーイズラブ)も日常であったので、

   では、女ばかりの大奥には、女色というのがあるのかい?

   

と訊ねているのに対して答えは、
 

   あります、です。

 

この「ひと山超えればすぐそこに」というセリフは、関西では有名な

有馬兵衛の向陽閣のCMの中のセリフで、向陽閣はどちらにありますか、

 

六甲山越えればすぐそこにあります、すなわち「あります」となるのですね。

 

 

江戸時代って、

 

しっかし、「ありがた山の寒がらす」「かたじけ茄子」などの言葉遊び、というのか駄洒落というのか、ほんとうに流行ったのだろうか?

ただ、屁をこいただけで、「へ、へ、へ、へ、へ、へ、へ、……」って言いながら輪になって踊るって屁い和だなって思う。

 

実際『べらぼう』観てて、この言葉遊びの何が面白いのやろうと思ってたけど、よくよく考えてみると、自分がいちばん使っていたわ。二行上でも使っているし、やっぱり、これからもつかうやろうなぁ……。

 

 

(付録)

 

   俺は、蛸食う関君ではなく、烏賊食う吉川に焼酎を勧めてから言った。

        ↓   (『兵隊さんよ、ありがとう』より抜粋)

        ↓

        多国籍軍        (いとしこいし師匠の我が家の湾岸戦争からの引用)

 

 

   

 

ブルーインパルス、間に合うんかっ!って、

ハラハラドキドキしたけど、ぴったり届いたよね。

 

これで明日へと、つながった。

 

 

misiaさん『明日へ』を歌うときは、

ラストのロングトーンは二十秒を超えるので、

倒れちゃうんじゃないかというくらいの鳥肌もので、

いつも、長鳴鶏(ながなきとり)が最後に声をからして、

後ろへポテンとひっくり返る動画を思い出してしまう。

 

まあ、そのあたりはプロだから、素人が心配する必要はないのだけれど、

実際に、ステージで前へ倒れ込んだことがある。

 

もちろんこれは予定された演出。

でなければ、12分に及ぶ渾身のパフォーマンスを終了するができないじゃない。

 

ステージを照らす灯りはすべてOFFにし、って知らんけど、

ステージの床から客席へはまばゆいライトが照らされていた。

つまり、逆光で観づらくしている。

 

次の『地平線の向こう側へ』がそれで、歌の終わりに、

最後に少しジャンプし、回転しながら床へ倒れ込みます。

 

おそらくいつもする、カーテシーというか王子様がするようなお辞儀というか、

下級貧民で、食うや食わずの生活を送る私などが説明することも出来ない、

上流階級の挨拶をしながら倒れます。

 

その後、数秒経ってからサッと立ち上がって投げキッスし駆けていく後ろ姿に、

「姐さん、ゆっくり休んでください! サケはお慕い申し上げます。」

と、一声かけて心に鍵をかけました。(なんのこっちゃ! て防犯……でおま)

 

これは渾身の一曲です。

ほんと喉潰れるんじゃないかと心配してしまうほどです。

 

 

ところでmisia姫と同じくらい(20秒以上)鳴く長鳴鶏ですが、

日本三鳴鶏というのがある。

 

 東天紅(とうてんこう)

 唐丸(とうまる)

 声良(こえよし)

 

この唐丸という文字が、頭の先までぴーこぴこ! と来たのは私であり、

 

「ああ、唐丸! お前、どこ行ってたんだよう」 

 

と安堵したのは蔦屋重三郎。ご存じNHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公である。

 

読み仮名は(とうまる)ではなく(からまる)で、

 

大火の町中で突っ立ってた少年を蔦重が連れてきて、

自分の名である唐丸と名付け、仕事を手伝わしていたのだが、

ある事件とともに疾走してしまったのだ。

 

で、再会したとき唐丸は、娼婦というか、娼夫というか、

つまり、ふたなりで糊口をしのいでいた。

しかし、こやつが後の写楽である。

          

         (訂正:こやつが後の写楽である。と、まあ偉そうに書いてお                りますが、本当は歌麿であります。何回も確認したと 

              思うのですが、いま再放送を観て不安になって見てみ

              るとこのざまでした。申し訳ありません)

 

 

(ここで言うふたなりとは、どっちも持ってます、ではなくどっちもよろしおます、ということでよろしくお願いします)

       歌麿

結婚した妻が、写楽との関係をいぶかるのだが、

敢然とそれを否定した蔦重は、その夜、初めて妻と同衾する。

        歌麿

ふすま一枚、隣の写楽は布団の中で聴いていて一言「よかった……」

 

おそらく蔦重もふたなりなのだろう。

 

あのエレキテルの平賀源内先生も男色だし、歌舞伎役者も、僧侶たちもそうであるならば、もちろん一休さんもそうかもしれないし、戦国時代の信長の小姓・近習としての蘭丸など、男ばかりの社会では、まら、ではない、まあ、そうなってしまうのだ。

 

ということは、その逆で、大奥は大奥で、やっぱり有馬温泉かい?

「ひと山越えればすぐそこに」やからね。

 

ところで2019年の第70回紅白歌合戦で、misiaさんがドラッグクイーン引き連れ、

レインボーフラッグ掲げましたよね。

なんかまっすぐないい人なのだけれど、注意してください。

 

JICA アフリカホームタウン……

 

日本政府も諸外国も国連も、ええ加減な奴ばかりで、利用されないようにと祈るばかりです。

 

しかし、この歌はいいです。元気が出ます!

歌詞もいいです! 曲もいいです! 

misiaさんには、この衣装が一番だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 
やっと反撃(敵基地攻撃)できるようになったということらしい。
つまり、大陸の一部が射程圏の長距離ミサイルを配備する。
撃ったら撃ち返すぞ! という抑止力を期待して……。
 
私は、ミサイルと聞いて思い出すのが、実は『ドラえもん』なのです。
 
この漫画はあまりにも有名で、テレビアニメは今現在も放送されているわけですが、私は過去に一度しか見たことがなく、しかし、その時に観た十数分のアニメに、これが、こせがれの観るマンガなのか? と驚かされました。
 
と、話はこれで終了なのですが……、
 
その一週間後に観たテレビ番組のあまりにも下らなさと、また、それを観てしまったバカ丸出しの自分への戒めとしてブログに書いたのがあり、(2012.12.01)
 
その時のドラえもんの話だけ載せておきます。
 

タイトルは

「しかえしミサイルが飛んできた」

 

ストーリーは……

ジャイアンとスネ夫にいじめられるのび太は、二人に仕返しをするためにドラえもんに「おしおきミサイル」を貸してもらう。このペンシル型の小型ミサイルは、目標に相手の名前を書くだけで簡単にセットができ、あとはリモコンのボタンを押すだけで相手目指して飛んで行き、命中するミサイルだった。

のび太からミサイル攻撃を受けたジャイアンとスネ夫は、のび太の家にあったミサイルを奪ってセットし、そのことをのび太に告げた。

とりあえず、これで互角になったのだが、

のび太はドラえもんに頼んで、怪しい物体が飛んでくると自動的にミサイルを発射する「自動しかえしレーダー」をミサイルに取り付けたのだが、ジャイアン、スネ夫も同じように「自動しかえしレーダー」を取り付けたので、どちらが口火を切っても、ミサイルが飛び交うという大惨事になってしまう状況になってしまった。

見かねたドラえもんの「こんな無意味な争いはもうやめよう」という提案にしたがい、両者リモコンを捨てて仲良く空き地で野球を始めたのだが、ジャイアンの打った大飛球を「自動しかえしレーダー」がキャッチし、それにより発射された数十発のミサイルが空き地で遊ぶのび太たちの頭上に降り注ぎちゃんちゃこ!───。

 

なんと、そこで番組は忽然と終ったのである。

「え? ここで終わり。終わりなの? ドラえもんて、一話完結じゃなく次回に続くのかっ!」と思ったくらいで、その終わり方は、そんじょそこらのこせがれの見る漫画の粋を遥かに超えているではないか。

 

漫画『ドラえもん』は幼稚園児や小学生に核の抑止力人間の意思以外で作動してしまう現代の科学兵器の恐ろしさなどを伝えている。しかも、結末は見せずに、観るものに想像させるという終り方で……。

 
 
 
くだらない番組というのは
『イカさまタコさま』『絶対に会いたくない! 世界の超S級危険生物コレクション』
であり詳細はイカで、ちがうか、詳細はタコで、いや、詳細は以下で、やね。
 

 

 

 

YouTubeのお勧め動画のトップに『じゃりン子チエ』があがっていた。

 

 

 

自分にとっては、このテレビアニメだけが、漫画などに興味のない父親と一緒に観ることができる唯一の漫画だった。

 

大阪の、通天閣や天王寺公園に隣接する労働者の街で、バクチと喧嘩に明け暮れる父親のテツに代わって、ホルモン焼きの店を営む小学五年生のチエちゃん、夕方に店を開けると労働者相手にホルモンを焼き、コップに酒を酌む。もう、家族そろって地上波で観ることはできないアニメである。

 

今回のセレクションは、遺伝についての物語だった。

チエちゃんが足の速いのは父親のテツからの遺伝で、自分が大人になるとテツみたいになるのか、と思い悩むが……⁇ という話である。

 

実は、自分は、『じゃりン子チエ』について過去に二度ばかり、つまり17年前と14年前にブログの記事にしていたのである。

 

で、その二つとも、今回配信されたものと同じで、遺伝について書いておりますのどすえ。ひぃぇ~~~~~~~! これって予知? ただの偶然?

 

まあ、このアニメは親子物語なので、必然的に遺伝がテーマになっても何ら不思議ないですね。しかも、並べてみるとオチがおんなじって、いやぁ~ン、恥ずかし!

 

 

 

 

Yahoo! 動画 に 『じゃりン子チエ』 登場!!!

 

イメージ 1


 

チエ  「わーい! ほな、はよ帰って見よ!」

 

テツ  「あほくさ! そうや! バクチしてこぉ」

 

ヨシ江 「やっぱり親子やねぇ……足の角度が同じやもの」

 

 

 

 

2011-11-05

ボク、趣味は博打で特技はヤクザどつくことです
 天王寺公園の茶臼山で───

 

チエ   「ウチ、ホルモン屋やめて小説家なろ思てんねん!」

テツ   「なに言うてんねんチエ。おまえに小説なんか書けるわけないやろ!」

チエ   「書けるて。そんなもんイチコロや!」

テツ   「あかん、やめとけ! チエはホルモン焼いて貧乏人から金まきあげてたら

      ええねん」

チエ   「せやけどウチは、お母はんの血ひいてるんやから大丈夫やわ! テツ主人

                        公にして小説書いたんねん」

 

二人の背後からヨシ江がやってくる。

 

ヨシ江  「チエ、テツやないでしょう。お父はん言いなさい!」

チエ   「あ、お母はんや!」

テツ   「わっ! なんでヨシ江やねん!」

 

ヨシ江   「やっぱりここやったんですね。あんまり遅いから迎えに来ました」

テツ   「わしバクチ行ってこう! ついでにヤクザどつきまわしたろ。わし、今そ

          ういう気分」

チエ   「よーし帰って、芥川賞目指してバリバリ書くぞ!」

ヨシ江  「やっぱり父娘(おやこ)やね、脚の角度が同じですわ」

 

                    

(ヨシ江のモノローグ)

 

もう7年も前になりますやろか、わたし、ある雑誌で西村賢太というひとの『けがれなき酒のへど』という小説を読みましてね、そこに出てくる主人公が、なんやうちの人みたいな感じがして、え? うちの人ですか? はい、そうです、チエの父親で竹本テツいうのですけど、それからこの西村さんの小説を読むたびに、ああ、やっぱりこの感じ、うちの人に似てるって、そんな気がするのですわ。

 

おかしいですやろか……?

 

小説の主人公とちごうて、うちの人はお酒もたばこもダメで女性を殴ったりしませんし、そんなところは全然似てないのですけど、見た目の怖さと、それとは逆に根は神経質でナイーブで、臆病なところもあって、極度に緊張なんかした時は、普段は偉そうに『わし』て言うてますのが『ボク』ってなって突然標準語をしゃべったりして……そのへんが小説読んでて、よく似てると思うのですわ。

 

そやけど、よかったですわ。芥川賞とらはって……。

 

花井先生言うたはりましたもの。

 

「こういう小説を、これから二、三十並べられたら、文壇でも類のない作家になりよるやろな。テツとは月とすっぽんや! ガハハハハ」

 

 

 

 

 

二つ目の『ボク、趣味は博打で……』は、この2011年に作家の西村賢太さんが『苦役列車』で芥川賞を受賞されたことで、そういえば七年ほど前に『けがれなき酒のへど』を読んで、このおっさんテツみたいやなぁ、2~3年のうちには芥川賞は獲らはるやろ、とその時思ったことを、んじゃ、同類のテツの嫁はんのヨシ江に語らせたろ、ちゅーことで書いたものです。

 

で、存命中の西村賢太さんへのメッセージ、つまり西村賢太としての亡くなり方について、を書いたのが下記『自分よりダメな人がいて、それで救われた。』でおます。

お時間があれば……。

 

 

なお、作中の『汚れた顔の天使』というのは、

子供たちに英雄視されるギャングの死に方(電気椅子による死刑)について、

かつては相棒であった牧師が、「子供たちのために、みじめったらしく、臆病者として

死んでくれ」と頼むのだが、……結末は、タイトル通りでおます。

 

 

『火垂るの墓』は二十年ほど前に文庫本で読んだが、記憶としては直木賞を同時受賞した『アメリカひじき』とほか数点の短篇が掲載されていて、そのどれであったかはわすれたけれど、戦後の食糧難の焼け跡で暮らしていると栄養失調で皮膚病に罹り、顔や頭にかさぶたやくさっぱちができるのを、雑炊やさつま芋の茎などを食っていては治らず、野良犬を捕獲しマンホールの蓋で鉄板焼きにして食べると、それが直に治ったとかいうエピソードが、人間はやっぱり肉を食わんとあかんな、という思いを私に根付かせたのだった。

 

 

 

(だから、私の掌編には「肉を食え」的なことがでてくる。下記掌編は最初は迷惑な鳥の肉、続けて謎肉ヒゲネモスで肉屋と会話する良き時代について書いております)

 

 

 

しかし、

「一度は観るべき映画だが、二度とは観たくない映画だ」

と、諸外国の人々に言わしめるほどの感動を与えたのは、やっぱり映像のなせる業であることは間違いない。

 

金盥をはすにかぶって敬礼する幼女はもちろん、蛇の目やもんぺ、おかっぱ頭にズロースなど、当時の四歳児のイメージが見るすべての人の共通になるのは、映画だからで、これが饒舌体で描かれた小説による各人のイメージでの節子であれば、そこまでの感動は「毛筋ほどもねえ!」(また蔦屋重三郎セリフです)。

 

 

 

(焼け跡も闇市も経験しておりませんが、それらしい雰囲気を書いて有馬温泉。書いた当時は、朝ドラは梅ちゃん先生で、国際情勢としては中国のレーダー照射もあり、もちろん清太とホタルも登場し、映画『悪名』の朝吉と清次が大暴れし解決します)

 

 

 

今回テレビで観るにあたって、涙腺の弱っている私は絶対泣きちゃんちゃこするし、でったい悲しかるかるになるに違いないが、と思案したが、さりとてほかにすることもなく、では、少しでも影響が少なくなるように、何かと批判をされていた兄貴の清太を見極めるつもりで観ることにした。結果、家族みんな死んでしまうという映画を……。

 

三ノ宮駅構内の柱にもたれて、呼びかけにも反応のない清太の、持っていたドロップの缶の蓋が開かずに、駅員はモーションをつけて駅前の焼け跡に投げ放ったのが、地面で蓋が外れ、中から白い節子の骨が三つばかり転がり出て、同時に驚いた蛍がわぁ~と舞い上がって……ぅぅううう涙腺崩壊でした。が、しかしそれが最初で最後。

 

そのあとは、清太への「つっこみ」ばかりで、よくよく考えれば四歳の節子のモデルになったのは、当時一歳半の妹であり、作者の野坂昭如が血の繋がりはないが、いや、血の繋がりがなかったからかもしれないが、節子を餓死させたことへの贖罪の意味で書かれたものであり、小説の中でのリアルは清太だけであり、それはつまり昭如の感情だけであった。それを理解して、つまりその後の野坂昭如を知っていれば、アニメの清太は間違っていなかったということになるだろう。ありのままキュウリがパパ的に書くことによって、節子に詫びているのである。四歳の子供に盗みをさせ、結果、自転車のおじさんにじゃがいも泥棒を見とがめられないようにと、こぼれたのを素早く拾って逃げ去るという盗っ人の罪悪感を身をもって経験させるばかりか、体調のすぐれない節子をすぐには医者に診せることもしなかったのに、まだ清太は3000円という大金を預金してあったというのが、我が身第一で、節子は二の次であったことのあらわれであり、彼が戦後、焼け跡闇市派として『エロ事師たち』という作品で文壇に登場し、戦後の焼け跡を、非合法もいとわず生き抜いてきた人間にライトを当て、そのご『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を獲り、歌手としても成功し、テレビ時代に入り、彼はマルチタレントとして名をはせた。ちなみに『おもちゃのチャチャチャ』の作詞家でもある。

 

野坂昭如は、派手なスーツを着、程よく目元が分かるほどの濃さのサングラスをかけ、右手にはたばこ、左手には酒で、薄い上唇を動かさず……だったかな、早口で饒舌にしゃべるのが、また聞き取りにくい、とかゆう感じで、とにかく個性的だった。

 

下に挙げるサントリーのCMは、観る前に、私は全部歌えた。これはハトヤホテルと同じくらいの、記憶に残る作品だ。

 

清太のことが知りたければ、下記の映像をご覧ください。

 

 

大物になった清太さんです。

 

粉ミルクまで飲まれてしまい、夜の空腹に泣く節子に脳震盪を起こすほど張り倒した

粉ミルク盗の兄ちゃんは、今日も元気にぐーぱんちです。

 

 

 

 

 

 

『あなたは誰?』…三葉

 

『おまえは誰だ?』…瀧

 

 

 

 

都心に暮らす男子高校生の瀧と田舎に住む女子高生の三葉が

 

ある朝、突然入れ替わっていたのはアニメ『君の名は。』である。

 

そりゃ、あせるだろう。男女の心と体が入れ替わってるのだから……。

 

『なんかある!』と三葉

 

『ちん〇がない!』と瀧

 

 

過日、私は、それくらいの衝撃を受けた。

 

あせった! 『ち〇こがない!』どころではなかった。

 

本当にあせった! 『〇んこがない!』のであれば、まだやり直せるのだが……。

 

こればかりは、逆戻りはできないらしい。

 

だから、そんなはずはないと思いながらも……しかし、これが現実ってものかなぁ~

 

とも思ったのだ。もう諦念である。

 

 

 

実は新札を三枚貯めていたのである。

 

それを金封に入れようとして、長年使っている札入れを拡げて、

 

新札を引っ張り出した。

 

 

そうして一応、希少番号ではないかなどを確認しながら、しかし

 

    強烈な違和感!

 

いや、違う違う、そうじゃない! そうじゃない!

 

 

 

私が札入れに入れておいたのは、津田梅子。

 

    五千円札だったのだ!

 

 

つまり、

 

津田梅子の五千円札が、北里柴三郎の千円札に入れ替わっているのだった。

 

ただ、枚数は三枚で合っている。

 

「んじゃ、壱萬弐千圓の損じゃん!」

 

て、言うてる場合ではない。

 

    五千円札が千円札に!

 

「つまり女が男に変わったということでござるな。それで、君の名は。でござるか」

 

いや、そんな説明はいらない、ちゅーか、お前ら誰やねん!

 

 

 

……ボケたというか、これが認知症ってやつかと思った。

 

記憶が変わっているというようなことが、実際に起こるのだろうか?

 

あったものがなくなっているとか、数が違っているというのならまだしも……。

 

 

 

津田梅子の新五千円札は、ここ半月ほどの間、苦労して集めた五千円札だった。

 

ATMでは出てこないので、スーパーでの買い物の釣銭として集めたものだった。

 

しかしその五千円札も、旧札の樋口一葉が出てくる場合がある。

 

この三枚の五千円札をそろえるのに、一万円札を五枚は使っているのだ。

 

 

この絶望的な不安を払拭するには、津田梅子を探し出すしか方法はなかった。

 

五千円札三枚が出てくれば、ただの物忘れとして処理できるのであるのだから……。

 

私は、部屋の中を探しまくった。

 

「うめこ~! うめこ~!」と叫びながら。

 

しかし、これはあぶない! とすぐに気づいた。

 

これでは変質者になってしまう。ここは大阪、黙って探すことにした。

 

 

 

そう枚数はあっているのだ。逆にそれが不気味である。

 

もしかして、すでに封筒に入れているのかもしれない!

 

そうだ。今だってそうしようとしてたのだからと、一縷の望み。

 

しかし、金封やお布施袋など、玉袋? 以外は確認したが、なかった。

 

テーブルの上に置いてある、持ってけ泥棒!用の財布には一万円と千円札が一枚ずつ

 

入っていて変わりはなかった。

 

 

で、ひとつ思い出したことがあった。間違って渡した可能性がある支払いを。

 

そう、自転車屋さんでの支払いである。

 

自転車の後輪のチューブとタイヤを新しくしてもらったのだ。

 

料金は3800円で、私が近くのスーパーで買い物をしている間に交換してくれた。

 

その時に、間違って支払ったかもしれない。

 

夕方だったし、受け渡しは店頭であり、領収書などはなく、私はレジ袋を左手にぶら

 

下げながら札入れから札を四枚取り出し渡した。

 

自転車屋さんは札を受け取ると折りたたんでポケットへ突っ込み、お釣りの百円玉を

 

二枚手渡してくれた。

 

「んじゃ、壱萬弐千弐百圓のそんじゃん!」

 

て、言うてる場合ではない。

 

「つまり、自分の不注意ということでござるな。まあ、ご自愛くだされぃ!」

 

いや、病気じゃないって、ちゅーか、お前ら誰やねん!

 

 

 

ということで、なすすべをなくしたわっちが、所定の位置に座り、片ひじついたテーブ

 

ルの板(つまりホーム炬燵の天板)……わっ!

 

その木目の板を少し持ち上げてみると、

 

 

      あった~!

 

 

 

 

 

灯台下暗しとはよく言ったもので、天板5センチメートル下に、津田梅子の新五千円札

 

三枚はあったのである。

 

この発見によって、話はつながった。

 

つまり、新五千円札は財布から出しておいて、札入れにはあらたに新札の千円札を集

 

めようとして、たまたま三枚になっていただけである。

 

「んじゃ、ど忘れ、物忘れってことじゃん?」

 

そう最初にパニックになって冷静さを失った。

 

ただ、最初の気づきが遅いのが少し気にかかるが……まあ、これは老化。

 

「つまり、白髪や皺とおんなじでござるな。しかし、また新海誠でござるか。5センチ

 

メートルはちょっと厚すぎるのではござらぬか」

 

実際は、2.5センチメートルくらいなのだけれど、数字の5を入れないとなんのことや

 

らわからないのではないかと思って、ちゅーかお前らいったい誰やねん!

 

 

 

 

8月11日(月)の深夜ということだから、今日12日(火)の午前二時ごろである。

 

いつものようにYouTubeを観ていると、共同通信が沖縄・石垣島天文台から『ペルセウス座流星群』のライブ配信をしていた。

 

しばらく見ていたのだが、これがちくとも面白くない。

というのも、スマフォで観ているので画面が小さい。

その画面が空ばかりで、流星が流れなければ、天幕に開いた針穴を観ているような塩梅で、……実際、780名ほどの人たちとしばらくみていたのだが、流れ星は出現しなかった。

 

で、ほかのライブ配信を探したのだけれど見当たらなかった。

どして? ちゅーことで調べてみると、一日ずれとった。

つまり、今日12日の深夜、ということは13日の午前二時過ぎあたりから極大で一時間に30個程度流れるらしいのだ。

 

結局、この後は『星の降る丘』を三バージョン聴いてから寝ることにした。

 

 

 

 

私は、年に何回かの天体観測に、pcで参加する。

 

まあネットで参加というので、暑くも寒くもない。

 

で、流星の出現場所にもよるのだろうが、なるべく地表から映してくれる天文台を選んで観るようにしている。そうするといろんなものが見れるので、面白い。

 

特に、天空をゆっくり動く光る物体のほとんどは人工衛星で、その多さにも驚かされるが、中にはUFOの存在を否定できないような不規則な動きをするものもある。航空機が飛んでいたり、蝙蝠や虫の飛翔があったりで、時間を持て余すこともない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンポ~~~ン!

 

 「いや、違うやろ!」と同時に叫んで(?)、目をパチクリと空けて壁のインターホーンを見ると、やつは真っ暗でしらんぷりである。

 

 

 つまり『ピンポ~~~ン!』という音は、確かに夢の中で聴いたのだった。

 

 時々、インターホンの音で眼がさめることがある。だから、ピンポ~~~ンという音は眠っている状態で聴いているのであるが、すぐに「いや、違うだろう!」という気持ち(あるいは叫び)になるのは、果たして夢の中でのものか、それとも覚醒した状態でのものかは判断がつかないでいる。ただ、夢の中で呼び出し音(電話・非常ベルなど)が鳴れば、その音で眼を覚ますだろうなとは思う。ほいで眼を開け「なんだ、夢か! おどかすなよ」だよね。

 

 ヤッパリ夢だったなと確認して、で今何時とスマホの電源を入れると『眠れぬ夜は君のせい』を歌うmisiaさんの静止画と視聴確認のメッセージが現れた。

 時刻は朝の5:55。いつもなら二度寝する。ただ、今日は可燃ごみの日であり、私は8:00にアラームをセットしていたことだし、しかたがない……起きるか。

 

 睡眠時間は3時間ほどである。

 通常、午前0時過ぎころからはYouTubeの時間となる。寝入るころまでだから、午前二時から三時くらいまで……。昨晩というか今朝がたというか、misiaさんのプレイリストで寝落ちしたらしい。

 

 ただ、懐かしい動画に出会えた。

「まだ、やってたんだ。っていうか、クオリティーが爆上がりじゃん!」

 最近、・ブルースリーの動画が上がっていたので、二つ三つ見たことにより、アルゴリズムが働いて出てきたのだろう❝るいちゅーぶへの道❞。

 

 

 

最初のころは、(無理やり?)お母さんと二人でやってたよなぁ……。

 

 

 

 映画『燃えよドラゴン』は、思い出があって、……て、それはまたの機会に!

 

 

 

 

 

 

 ここ半年は夢から目覚める状態が続いている。つまり、起きた時に夢を覚えているのである。

 

今朝は、

 

 大衆食堂で食事が終わった私は、隣のテーブルの親子連れ(母親と就学前の姉妹)に少し相手し、その後レジに赴き、一万円を預けて外へ出たのである。

 

 おそらく、私がちょうどの金銭を持ち合わせなかったということと、店側は釣銭がなかったのだろう。(であれば店側が何とかしなければならないのだが……)

 

 私は金銭の都合をつけるために、往来の反対側にある菓子屋に入り、小銭入れから百円硬貨を一枚渡し、何かを買ったのだが、ご丁寧に紙袋にまで入れてくれて、私はそれをぶら下げて店へと戻った。(硬貨が一枚減っただけ)

 

 戻ってみると店は大混雑しているのに、店主はレジの横のテーブルで客と一緒にどんぶり飯を食っているのである。

 

 私に気づいた店主は、領収書に書いてある8250の数字の上に8700だか8800だか、とにかく書いてある金額よりも多くかこうとする。釣銭をごまかそうとしているのである。

 

 で、まあ眼がさめて、スマフォで時間を見ると8時30分だった。

 テレビをつけたのは9時過ぎころだったろうか。カムチャッカ半島の地震で、津波の注意報やら警報やらが出ていた。

 

 テレビはどこも津波の情報で、最初8.0だったマグネチュードが8.7さらに8.8へと引き上げられたということである。

 

 これって、ちょうど地震が発生したころに、夢の中で食堂のおやじが領収書の金額を書き換えようとしていたのと何か通じるものがあるような気がするのだけれど、どうでしょうか。

 

 やっとこさ『駅』の記事書いた後、わざわざ、こんなしょうもない夢の記事を書く必要はないのに書いたのは、だって夢で見たんだ! ちゅーことです。

 

 もちろん予知夢だとはちーとも思っていませんが、なんかおもしろいなって思うのでUPします。

 

 

 

 USGS(=アメリカ地質調査所)は、ロシア・カムチャツカ半島で日本時間の午前8時24分に起きた地震について、地震の規模を示すマグニチュードを当初の8.0から8.7へと引き上げ、さらに8.8へと引き上げました。 【映像】カムチャツカ半島で地震 最新情報  震源は、ペトロパブロフスク・カムチャツキーの東南東119kmの沖合としています。(ANNニュース)

 

 

                                                                                                                            ……続きです。

  

  『駅』のデモ音源をもらった中森明菜サイドは驚いた。

 

 『完璧すぎる!』

 

 そりゃそうだ。

 

 あの竹内まりやさんが中森明菜さんを一日中イメージし作った曲である。

 

 彼女曰く「自分が歌うのであればこんな曲は書かない!」

 

 では、その頃の中森明菜さんのイメージって、どうよ?

 

 中森さんのデビュー曲は『スローモーション』だ。

 

 出逢いはぁ~♪ スロォーモーション ♬  16歳の少女が歌うバラード曲

  

 この曲で、花の82年組のアイドル歌手の一人としてスタートを切った! 

 

    次作はもっとかわいく聖子ちゃんに続け……そう本人は望んでいたのに、

 

 もたらされた曲は『少女A』って、不良やん!

 

 結局、本人の希望に反して聖子ちゃんの真逆を行くことになる。

 

 『飾りじゃないのよ涙は』もやっぱりツッパリ系だし。

 

 しかし中森明菜さんは、それらの歌唱により単にかわいいアイドルではなく、 

 

 歌唱力を備えた本格派の歌手として人気を博していくぅぅ~~♬わぁ~~~!

 

 おそらく竹内まりやさんはそれを踏まえて、この『駅』を作ったのだろう。

 

 つまり、駅で出逢う男女の邂逅をスローモーションで語り、

 

 お別れは飾りのない涙で見送る。ハハハ~。ホホホ~。♪ 

 

    で、最後はラララ~である。

 

 結局、竹内まりあさんは主人公の女性をポジティブな女性として描いているのであ

 

 る。

 

 たとえて言えば、『竹取物語』のかぐや姫みたいな女性……求婚者に無理難題を

 

 言い、帝の求婚さえ拒否する強い女性……だって、月からお迎いが来るんだもん。

 

 

 一方、完璧完全なデモ音源を聴いて、同じように歌って上回れないのであれば、

 

 いっそこの主人公の女性をネガティブな女性としてねちっこく歌ってしまおうでは   

 

 ないか……と中森サイドは考えても無理はない。

 

 たとえて言えば『眠れるれる森の美女』のように……13人目の魔法使いに「ヒヒヒ

 

 ッ! あんたは一生あの男を忘れられないのさ!  王子様にキッスされるまでわね」

 

 

 

 

 

 

 しかし、それを許さないのが女の罪♪ではなく、歌詞である。

 

 歌詞を吟味すれば中森サイドは、ちょいと苦しい。

 

 

 巷間でかまびすしく言われるのは、歌詞のここんとこである。

 

      今になって あなたの気持ち

      初めてわかるの 痛いほど

      私だけ 愛してたことも

 

 竹内まりやさんは、私だけ を 愛してたことも であり、

 中森明菜さんは、   私だけ が 愛してたことも である。

 

 この隠れている助詞の選択によって、大いに意味が違ってくる。

 

 竹内さんは、自分が愛情の対象者として選ばれていたんだとわかったのであり、

 

 中森さんは、自分だけが男性を一方的に愛していたんだとわかったとなります。

 

    竹内さんは、提供した楽曲がどのように解釈されて歌われようとかまわないような

 

 のだが、それを許さないのがぁ~山下達郎。

 

 

 では歌詞を吟味しながら詳しく見ていきましょうか。

 

 

 

見覚えのある レインコート

黄昏の駅で 胸が震えた

はやい足取り まぎれもなく

昔愛してた あの人なのね

 

 

 黄昏ということだから日没後の夕暮れ時で、「たれそかれ?」というくらい人物を顔で判別できない頃なのに、どうしてあの人だとわかったのかというと、癖というか性格というか群衆の中をかきわけていく速い足取りと、きっと彼女がプレゼントしたのだろう銀ネズ色のレインコート、だから覚えていて、しかも今でも身に着けていてくれることが女性としてはとても「うれしい!」。おそらくレインコートの袖をつかみ、「ちょっと、足早いんじゃない!」「ポップコーン買うんだろう? 遅れちゃうぜ!」とシネコンでのデートはあったはずだ。

 

 ところで、昔愛してた、ということは普通はいまは愛してないという意味であり、    この点で明菜さんのとらえ方は難しい。無理がある。もちろん昔愛してて、今も愛しているととらえることは可能ではあるが……。

 

 とにかくここは重要なので、ピンクのマーカーを引いておきます。試験出ますから……。

 

 もう一度言います。つまり、昔愛してたちゅうことは、いまは特別な愛情はないちゅうことでおます。ここは押さえといてね。 明菜さんとまりあさんの解釈の違いがここにもある。

 

 

 

懐かしさの 一歩手前で

こみあげる 苦い思い出

言葉がとても 見つからないわ

あなたがいなくても こうして

元気で暮らして いることを

なにげなく 告げたかったのに

 

 

 懐かしい気持ちで駆け寄ろうとしたが、「おえっ!」と苦い思い出がこみあげてくる。「うん。元気にしてる! あれから三キロも太っちゃった」と何気なく告げたかったのに、何も言えない。

 

 

 

二年の時が 変えたものは

彼のまなざしと 私のこの髪

それぞれに待つ 人のもとへ

戻ってゆくのね 気づきもせずに

 

 

 別れて二年がたち、彼のまなざしは生気のない死んだ魚の目になってしまい、私の髪はショートヘアーに変わった。この歌は、ところどころに倒叙法が用いられていて、彼のまなざしの変化は後述される。そうして私の髪の変化であるが、二年で十センチ伸びちゃった、という物理的な変化を言っているのではなく、二年前は長かった髪も(思い出とともに)思い切って短くカットし、いまではバリカンで後頭部は刈り上げているくらいの変化を言っている。

 

 ピンクのマーカーを入れた『それぞれに待つ』というフレーズ、「えっ、男性の二股? ちゅうか奥さんいるんじゃね?」という情報がオーディエンスにもたらされる。一方、女性も今はパートナーがいることを知らされる。気づかないのはレインコートのネズミ男である。彼はこの物語の主演男優だが、それを知ることは毛筋ほどもねえ。

 

 

     ここから画面変わります。

 

 

 

ひとつ隣の 車輛に乗り

うつむく横顔 見ていたら

思わず涙 あふれてきそう

 

 

 ここからお互い車両に乗るが、女性はひとつ隣の車輛から男性を観察する。そうして男性のうつむく横顔を見ていたら涙があふれてきそうになった。しかし、あふれてきそうになっただけで涙を流したわけではなく、人によってはこれは「泣いてないもん」ということになる。強い女性。

 

 

 

今になって あなたの気持ち

初めてわかるの 痛いほど

私だけ 愛してたことも

 

 

あなたは私を捨てたけど、今初めてわかるあなたの気持ちとは……なんなん。

 

つまり、あなたは奥さまよりも私を愛してた。けれども赤ちゃんができ、あなたは家庭を選んだわけなのね……それは私がパートナーをみつけ、その分身を身ごもったことにより、理解できる。異性よりも家庭を選ぶ!

 

 

 

     ここで画面が変わります。

 

 

 

ラッシュの人波に のまれて

消えてゆく 後ろ姿が

やけに哀しく 心に残る

改札口を 出る頃には

雨もやみかけた この街に

ありふれた夜がやって来る

ラララ……

 

 

隣の車輛からネズミ男が下りて改札口へと流れていく。その後ろ姿もやけに哀しく心に残る……が、それは知ったこっちゃない。人間みんななんだかの悩みや不安を抱えている。改札口を出る頃には、おそらく雨も降り止んでいて、街にはいつものようにありふれた夜がやって来るだろう。だから、頑張って……。

 

 

 

……とまあ勝手放題、好き放題書いてきましたが、結論から言うと「知らんけど」ということになります。

 

ただ下記の映像を見てもらえば、私のいうこともまんざらでもないと思うのですが。

 

    

 

歌い終わったまりやさんは、スタンドにマイクを収めると会釈し、手を振ってステージからはけていく。

土岐英史さんのサックス……いつまでも聴いていたい

ドラムスの青いシャツ着た青山純さん……この時はここにいたんだね

 

最後はニット帽の山下達郎さんのギター侍! イチ、ニイ、サン、…ダー斬り!

「これが竹内まりやの『駅』でおます」

 

 

                                  (了)