闇のあとの光 | 記憶のための映画メモ

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こんにちは!
大好きな映画も数日で忘れてしまう我が記憶力。
ユルユルの脳味噌に喝を入れるための映画ブログです。


闇のあとの光


2012年/メキシコ・フランス・ドイツ・オランダ/115分
監督:カルロス・レイガダス
出演:アドルフォ・ヒメネス・カストロ、ナタリア・アセベド、他
おすすめ度(5点中) → 3.9


――― あらすじ ―――――――
メキシコのとある村。フアンは愛らしいふたりの子供と美しい妻ナタリアとともに何不自由ない恵まれた生活を送っていた。ところがある夜、赤く発光する“それ”が彼の家を訪問したときから、なにげない平和な日常が歪みはじめる。(公式HP より)


―――  感想  ―――――――
おそらく観た人によって解釈が全然違うと思われる作品。難解といわれる映画ですが、こんなのは好きなように想像して楽しんじゃおう!眠い時は避けた方がいいかもしれません。


少女は動物と大自然のなかを走り回り、妻と性交渉のない夫は愛犬に暴力を振るわずにはいられず、

掘立小屋では依存症の会が行われ、サウナでは乱交パーティが開かれ、青年たちはラグビーの練習に励み、などのいろんな断片で構成される今作。断片はつながりがあるが、くっつけ方は観る人次第といった印象を受けます。


誰の目にもあきらかに異質なのは、やはり家に訪れた“それ”の存在でしょう。


▲“それ”とは一体何なのか。道具箱を持っているところが妙に親近感を覚えます。


▲映画冒頭、少女は動物たちと自然の中を走り回る。


この映画は縁がぼやけたエフェクト処理がされているシーンがかなり多い。気になるのは、それは誰の“視点”かということ。おそらく人智を超えた存在なんだろうと想像する。



▲人間の視点とはとても思えない。



▲この一家が映画の軸となる人たち。



▲乱交パーティや依存症の会など、どちらかというと“不穏な要素”ばかりかというとそうでもなく…。


▲成長した子供たちが海辺で遊んでいる美しいシーンなんかも挟みつつ時空をまたぎます。


▲あるものは、“呪い”をうけたようにも見てとれる。


一応ストーリーっぽいものもあって、

一家の大黒柱であるフアンは妻とセックスレスで性欲に囚われていて愛犬に暴力をふるったりしているんだけど、使用人のセブンに誘われ依存症の会に参加しています。ある日、旅行に出かけたフアンは忘れ物をとりに家に戻ってくるんだけど、何と使用人のセブンが悪友と一緒に一家のアイテムを盗み出しているところに遭遇。怒るフアンだったが、逆にセブンに銃撃され重傷を負ってしまいます。その後、セブンは田舎に置いてきた妻と娘のもとに戻るが、ケリをつけるためにもう一度フアンの家に行きます。そこではフアンの子供たちが遊んでいて、セブンは彼らの口からフアンが死んだことを聞かされます。ショックを受けたセブンが家に帰ると妻と娘の姿はもうそこにはなく、セブンはそのまま森へと移動。自分の首をもいでしまいます。


というのがザックリしたストーリー。ラグビーしている青年たち、乱交パーティなどの要素はそれにイメージ的にくっついてくる感じです。

この映画を考える場合、赤く発光する“それ”の出現によって、日常が崩れていったような印象を受けるけど、僕は“それ”というのはそんな悪魔的なイメージではないんじゃなかろうかと思う。道具箱をもっている“それ”は世界をメンテナンスしているだけかもしれません。もしくは人が考えたり行動したりする際のエネルギーそのものかもしれません。


面白いのは、冒頭の走り回る子供は混沌とした世界と一体化しているような気がするのに対し、大人たちは自然や動物に対して距離感を計れずにいること。

さらに富裕層であるフアン一家と、貧困のどん底で育ったセブンの間にある格差が、大きな溝を生んでいることは見逃せないポイントだと思います。


ちょっと自分のなかで整理するのに時間がかかり、記事を書くのに時間がかかりました。あれやこれや想像するのは好きなので、そういうのが好きな方は是非どうぞ。