雅子さまがプランターにつまずかれた件を、ボヤっと書いてモヤっとさせるだけの他メディア。
グッジョブテレ東さんが、ハッキリスッキリさせてくれました。
仲が良いご一家、晴れやかで自然な笑顔。
ハキハキとしたお言葉、ユーモアを交えた話題(撮影時間外ですが、記者さんによると、昔、ここでテントを張って宿泊された陛下が「寝袋に入ったまま転がって行っちゃった」と笑いながら話された)に、こちらの気持ちまで明るく楽しくなります
(トンボについても天皇ご一家の方がずっとお詳しいんじゃないですか?)
そして、13:05あたりからが、雅子さまがプランターにつまずかれたシーンになります。
雅子さま、お怪我が無くて良かった。
というか身のこなしがさすがソフトボールで鍛えた元スポーツ少女
>ソフトボール部を立ち上げた創立メンバー<
>自主練習も毎日されていました」<
>雅子さまが中学3年生のときにソフトボールの区大会で優勝(’78年)<
テレ東の記者さんは、このアクシデントについて
>皇后さまがつまずかれた植木鉢は、ご一家の動線、動くルートを示していたと思うんです。<
>陛下も「あそこまで行かないことになっていたんでしょうね」と振り返られていました。<
え? 陛下にはそのことが伝えられてなかったのでしょうか?
テレ東記者さん
>この映像をなんでご紹介したかというと、本当は行かないことになっているんだけど、ご一家で近寄られた。
陛下らしい気さくなお人柄が出ていると思ったからです。
せっかく歓迎に出てきてくれているんだから、ということなんだと思います。<
女性アナウンサー
>すかさず手を差し伸べられた愛子さまの、ナイス・アシストもありました<
陛下のお気持ちと行動、たいへんありがたいのだけれど・・・
もしも陛下があらかじめプランターの意味を伝えられていたら、陛下のことですからそこを超えていく前に職員や警備の人に声をかけられ、それで雅子さまや愛子さまもプランターの存在を認識され、あのような危険は回避できたと思うんですよね。
で、ですね、
その「予定外」にご一家が近づかれた人々の中に・・・
テレ東さんの配信の15:00ー
何かをご一家に差し出す年配の女性
そしてさらに何か言い、雅子さまが前に出て受け取られた!!
(陛下のご結婚写真と、calendar 2024 と書かれた表紙の冊子で、来年のカレンダーみたいです。手作り?)
エエ==!??
私、まずは警備の人が制止するか、次にお付きの人が出てきて代わりに受け取るか、最後に雅子さまが受け取ったものを代わりに持ち運ぶ人が出てくるかっていちいち思ってたんですけど、全部スルー!?
「シーソーモンスター」by伊坂幸太郎みたいにばあちゃんに変装したテロリスト、あるいはばあちゃんスパイだったらどうするの!!!!
この件、ニュースになっていました:
>自身で撮影した写真で作ったカレンダーを、雅子さまに手渡す人がいた。雅子さまは丁寧に受け取るとページをめくり、天皇陛下もカレンダーをのぞき込むしぐさをみせて、相手への感謝を示した。雅子さまは車に乗って出発するまで、しっかりと手に持っていた。<
>しかし、翌日の上皇ご夫妻がご静養へ出発されるときには、警察官がピリピリした空気を醸し出し、「プレゼントはできません」と何度も呼びかけていた。さらに、 「あの場面の映像がテレビやYouTubeでも流れてしまっていますので、大変です……」 そう苦笑いしていたという。<
雅子さまファンの暴走と、それに応えた雅子さまの行動が、ミテコ夫妻のお出かけを難しくしたみたいになってる!??
>天皇や皇族が公衆の場で贈り物を受け取ることが常態化すれば、爆発物や毒物を紛れ込ませるなど、テロにつながる危険も出てくる。 世間がすべて善意の人ばかりではない。<
>たとえば自分の著書やアート作品、自社の製品などを「贈り物」として天皇や皇族に手渡した人が、「これは皇室への献上品です」と宣伝に利用する恐れもある、と山下さんは警鐘を鳴らす。もちろん、今回カレンダーを手渡した人にはそういった意図はないだろう。<
>今回の件でも、皇后陛下が直接受け取りを拒否するのは難しかったでしょう。こういった場面では、側近職員がいったん受け取り、ご一家がその場を離れられたのち、渡した人に事情を説明してお返しすればいいと思います」<
ですよね、天皇ご一家が国民の笑顔を吹き消すことはできないし、一方で手作りカレンダーを差し出した女性にも、国民全員にも、そこまで安全規律を徹底するのは不可能です。
側近の方々は、天皇ご一家をお守りする任務をきちんと遂行してください。
(ちなみに、テレ東さんの配信動画の最後のあたりで、車に乗り込む天皇ご一家の側近か警備員たちが、後ろから飛んできた汚い言葉遣いの「ご一家が見えないから下がれ!!」という意味の罵声に、三人のうち二人がその砦を崩します。でも、一人は残り、振り返って人々をにらみつけた。人々はそれを見て笑ったように聞こえたのですが、これくらいの真剣さで天皇ご一家をお守りしてほしい。そして人々も、そんな日本語でその場を汚したり、職務に忠実な職員に投げつけたり、いわんやご一家のお耳に入れたりしないでほしいです。)
この記事についたコメント:
>あの場面で皇后陛下が拒否するなんてことは難しかったと思います。 記事ではまるで上皇ご夫妻の警備が厳重になったのは前日の皇后陛下のせいみたいな書きぶりですが、では秋篠宮家の「ペットボトルは投げないように!」「荷物は地面に置いて!」の注意喚起や逮捕された人までいたのはどういうことなんでしょうね?<
A宮が掘り出されてコンニチハー
>お手製のカレンダーを手渡したのは、30年間雅子さまの追っかけをしてるお婆ちゃんではないでしょうか。馴染みの方なのでつい手が出てしまったのでしょうね。 さすがに見ず知らずの人からのプレゼントは受け取らないと思いますよ。<
あ、そうなんですか?
たしかに、この記事に出てくる「追っかけおばちゃん」によく似ているし、一眼レフカメラを持っているところも同じです。
それならなおさら、ご一家の安全を慮り自重してほしかった
で、この白滝さんはインタビューに答えてるんですが
>白滝: 平成30(2018)年の1月、天皇陛下と美智子さま(現在の上皇上皇后両陛下)が葉山で静養されました。普段、私のほうから声をお掛けすることはしないのですが、この時は別でした。上皇后になられる美智子さまが葉山に来られることはなくなってしまうのではないかと、すぐそばまで来られた時に思わず、「握手させていただいてよろしいでしょうか」と言ってしまったんです。すると美智子さまは「この手でよろしければ」とおっしゃっていただきました。<
ミテコさん、直に接触してました=!!
えー、もう一度リンクしますけど
>翌日、軽井沢へ向けて上皇さまが出発したJR東京駅は、警察の規制が強まった「厳戒」モードに。雰囲気を一変させたのは、那須塩原駅での雅子さまと市民との「交流」だった。<
違います。
雅子さまのせいではなく、ミテコさん自身が数年前にこの追っかけさんと直に触れ合い、今回の下地を作っていたんです。
ミテコさんが手に触らせてくれたら、その「嫁」である雅子さまにモノを手渡すハードルは地の底に沈みますよ。。
そのミテコ握手の証拠写真はこちらにあります。
(ロイター編集)
>皇后さまと握手する白滝さん。神奈川県葉山町で1月撮影(2019年 ロイター/Issei Kato)<
(「皇后」は当時。現在の上皇后です。)
(あと、白滝さんは2018年と言ってたけど、ロイターは2019年になってますね。)
自分でタネをまいたくせ、雅子さまの失敗にして被害者ぶらないでくださいましッ!!
えーちなみに
ヒヨドリバナなど植物の名前にもお詳しい天皇ご一家の会話に対抗して、ミテコさんも
>上皇后さま 「何とかイモとか言うんじゃなかったかしら。あちらにアサマフウロがございますよ」<
この場面は日テレも長野放送も編集カット禁止なのか、ダラダラと流してますう~
そしてナレーション
>今から66年前の1957年の夏、お二人が初めて出会われた“思い出のテニスコート”です。<
テロップも
>初めて出会った”思い出のテニスコート”<
イヤンまた掘った=
>「出会いは軽井沢のテニスコート」は作られたエピソード
実際の出会いは「東京ローンテニスクラブ」
正田家は群馬から目黒に引っ越して家族会員になる。
正田家のねらいは皇族と結びつくことで事業を発展させる。
その鍵となったのが「ミテコ」さんだった。
正田家は二代前からクリスチャン<
これらは、直接関係した方々(篠原さんが言い始めた”テニス・マフィア”にピンときた人々)からの情報とのことです。
平成の三十年間は、日本が停滞し世界に置いて行かれた時代だった。
それが、やりたい放題をやって日本の真の力を壊してきたミテコさんの時代。
だと。
というところで、「ミテコさんのご実家が二代前からクリスチャン」というその本家本元、バチカン市国の旅話をさせていただきますネ。
ローマ市内にある国土面積が世界最小の国、バチカン市国。
そこにあるのはカトリックの総本山
ローマ教皇庁 (バチカン) (Google map)
の、サンピエトロ広場でございます。
そ、壮麗すぎんか・・・
>30万~40万人が収容できるといわれているサン・ピエトロ広場は、幅が240mのとても大きな広場です。4列のドーリア式円柱は全部で284本あり、広場を囲むようにして列柱廊を作り出しています。柱の上には140体の聖人像があります。<
>サン・ピエトロ広場は、教皇アレクサンデル7世の命により、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計して1656年から1667年にかけて建設されました。<
>長い巡礼の終着点としてのこの場所を、信者たちを包み込むような列柱廊のデザインにしたのは、「すべての教会の母であるサン・ピエトロは、母のように両腕を広げ受け入れる」という彼(設計者のベルニーニ)の思いを表している<
広場中央のオベリスク。
>オベリスクは紀元前1世紀にエジプトのアレクサンドリアでローマ人が建てたものです。皇帝アウグストゥスに捧げたもので、高さ約25mあります。紀元前40年頃ローマ皇帝カリグラがエジプトから運び、16世紀後半にここに移されました。<
紀元前のオベリスクといっしょに、大画面テレビ?が鎮座。
そして正午、日曜日のこの日、ローマ教皇フランシスコさまが登場されました:
写真じゃわかりませんが、教皇を生中継してます。
ビデオの方がよく映ってますね。
私はカトリック教徒でもクリスチャンでもありませんが、信者のみなさんの篤い想いをひしひしと感じました。
教皇の祝福スピーチの後、鳴り響く鐘の音も感動的です。
というわけで、今日はここまで。
連日の強行軍と暑さに疲れ気味、しかも翌日はまたここバチカンの博物館やシスティーナ礼拝堂を見に来る予定なので、切り上げることにして出口へ向かう。
ホテルに連れて帰ってくれる団体ツアーバスが来るまで、バチカンを出たところでランチします。
四人でこうしたものを分け合って食べました。
リスキチとボブ旧友の長女ちゃんは食欲がないと言い、まずはジェラート食ってた
お土産屋と隣接してるこの食堂なので、お土産も買いました。
ボブのお土産「聖水」です。
こうしてホテルに帰って来て一休み、ボブと卓球もしてー(元卓球部キャプテンの私)
こちらはホテルのロビーです。
ロビーの化粧室にいざなってくれる小鳥さん。
夕ご飯は出かけるのもおっくうなのでホテルのレストランでいただきました。
ボブ注文、オレンジ入りのビール。
リスキチのピザ。
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↓noteで犬のピピの話を書きとげようとしています