別の「重い」 | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

 

フォローのときでも

リードのときでも

組んだ瞬間

「ああ、重い」って感じることがある。

 

 

この「重い」は

よく言うダンスの動きのことではなく

たぶんマインド

もっというとエネルギー的な

モノなんだと思う。

 

 

マインドが閉じている人

意識のベクトルが

自分にのみ向いている人は

重いエネルギーを感じる。

 

 

私のダンスはどう?

私をどう楽しませてくれる?

私をいい気分にさせてくれ。

私はどうみられている?

 

 

そんなエネルギーの人は

重い。

 

 

「私は私は私は」の思いが

じわじわとのしかかってくる。

 

 

一方で

相手あってのダンスの楽しさ

って思っている人は

この重さがない。

 

 

踊っているときに「私は」が

ないんだろうなって思う。

 

 

先生と踊ると楽しいのは

生徒に対し

「私はどう?」っていう

エネルギーには

あまりならないからかも。

 

 

踊っている相手の生徒が

いかに楽しめるかしか

考えていないだろうから。

 

 

一方で

先生と踊るとき

生徒たちはほとんどみな

楽しませてね~

っていうエネルギーだろうから

 

 

重労働

ほんといつもありがとうです。

 

 

「私は」「私を」の

自我や利己を手放して

相手の喜びや

音楽と同調した心地よさ

 

 

そこに没頭しあえる

相手とのダンスは

無我であり

無欲の境地。

 

 

先生と

あるいは生徒同士でも

たまーにこういう

奇跡みたいなダンスを

味わえることがある。

 

 

私は上手く踊れているか

相手に嫌な思いをさせていないか

下手だなと思われていないか

見ている人はどう思っているか

 

 

そんなことが一切よぎらず

相手の身体と

音楽と

自分の身体の

ハーモニーに集中するとき

生まれるもの。

 

 

たまに出会えるその瞬間

それがあるから

また踊りたくなるし

 

 

もっと味わいたいから

もっとうまくなりたいと思ってしまう。

 

 

自我が消えるほどに

集中できる自由さを

手に入れるために。