アメブロとの距離感 | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

言葉って使う人によって

定義が全然ちがうから

理解しあっていると思っていても

じつは真逆のことを

あてはめていることは

しょっちゅうあって。

 

 

むしろ

意図したとおりに

伝わることのほうが

奇跡みたいなもの。

 

 

柔らかい

という一言も

 

 

豆腐のような柔らかさ

タコのような柔らかさ

羽毛クッションのような柔らかさ

柳のような柔らかさ

 

 

いろいろあるわけで。

 

 

だからブログでは

意図したことと

反対にとられることは

デフォルトなこと。

 

 

まして趣味のブログって

伝えようという意図で

思って書いている人のほうが

少ない気がする。

 

 

自分の思いや行動の

記録としてや

吐露する場として

自分の言葉にこだわって

書いている人が多い。

 

 

だから人によって使っている

言葉の定義が

けっこう自由。

 

 

ところが

アメブロの特質として

SNSっぽいから

交流度が高い。

 

 

リアルな交流と同じ

距離感でいると

その言葉の定義の違いが

大きな行き違いを生む。
(リアルな交流とイコールな

場合はまた別ですが)

 

 

ブログでは

相手を知るすべは

文字情報だけだから。

 

 

お会いしたこともなく

その人柄も分からず

地域や風土文化も違う

人たちとは

 

 

共通言語で語りあっているようで

ぜんぜん

理解できないほうが

多いんだと思う

 

 

あと、自分の状態によって

同じ文章でも

ネガティブに見えたり

ポジティブに感じたりもする。

 

 

だから

自分が読む側にたつときは

 

 

エネルギーをメインに

読んでいく。

 

 

エネルギーっていうと

スピっぽいけど

要は

文に込められている

その人のムード。

 

 

開いたときに

受け取るムードで

文字を読まなくても

 

 

楽しそうだなとか

元気だなとか

分かるし

 

 

逆に

その人の

一番美しいところから

ズレた軸から

エネルギー出てるな

とかも何となく感じる。

 

 

 

書かれている内容は

たいへんそうなことで

あったとしても

 

 

のっているエネルギーが

その人の軸であれば

いいと思うし

 

 

ズレているなと思えば

そっとスルーする。

 

 

あれ。
なにを書きたかったんだっけ?

 

 

分からなくなっちゃったけど

 

 

ブログしんどくなっちゃう人は

たぶんすごく

優しい人なんだと思う。

 

 

書いたものへの反応も

読んで感じてしまう相手の思いも

 

 

苦しくなっちゃうときはある。

 

 

でもどう読むか

どう書くかなんて

自分の心地よいだけで

ブログなんて

いいと思う。

 

 

自分の大切な軸を

汚すようなことでなければ。

 

 

自分を裏切る

自分を損なうことをしない。

 

 

それだけが大事。

 

 

意図的に誰かを

傷つけるつもりがなくても

傷ついてしまう人はいるかもしれない。

 

 

それはしかたない。

 

 

ブログ読んでくれる人

全員に賛同され

好かれることなんて

しょせん無理。

 

 

読んでいるブログ

すべてに

自分が共感するのも無理。

 

 

そんなスタンスで書いたり

読んだりさせてもらっています。

 

 

記事を読んで

面白がってくださった方が

おいていってくださる

コメントには

 

 

旅人に

お土産いただいたような

そんな感じで

よろこびながら。

 

 

自分のブログぐらい、

自分を守って

自分軸つらぬいて

行っちゃいましょって

 

 

他人のことを

先に考えてしまう

優しい人に言いたくなっちゃったのかな。