踊る理由 | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

水星逆行だからか?
過去のことが浮かんで

ふり返りです。

(注) 超長文な独白です。

 

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今のところ

来年のあたまはダンスは

お休みの予定。

 

 

10月のデモで

やりきって燃え尽きて

12月の企画ものの

パーティーが楽しくて

元気は戻ってきたものの

まだ「いざ」という

気になれないので。

 

 

たぶん、ダンス人生の

次のステージに入る前の

踊り場みたいなときなんだろうな

と思っている。

 

 

7年前にはじめたとき

最初は女性性を取り戻す

それが目的で始めたダンス。

 

 

やってみたら

自分がいつも追及してきた

コミュニケーションを

言葉を使わず、しかも

対人間だけでなく

床や音楽や空間や

見ている人ともする

そんな総合的なものであることを

知ってのめりこんで。

 

 

そのうち

自分のダンスで

どんな感情でもいいから

見ている人の心に

なにか起こしたいと思うようになった。

 

 

感動じゃなくてもいい。

嫌悪でも嫉妬でも怒りでも

なんでもいいから

その場に感情のエネルギーをわかせ

なにかを作りたかった。

 

 

それが異常な方向に高まって

途中の2~3年は

とにかく人に見てほしかった。

私を観ろ!って思って

踊っていたし

目を引くために上手くなりたかった。

 

 

存在価値を高めて

承認欲求を満たしたかったんだなあ。

 

 

教室や

先生とのパートナーシップや

ダンスの場に

自分の居場所を作りたかったんだと思う。

 

 

がむしゃらにレッスン入れて

捻挫しても肉離れしても

ぎっくり腰になっても

休まず踊っていた。

 

 

そうして上手くなれば

見てもらえる。

見てもらえれば

居場所ができる。

ここにいていいんだ

って思える。

 

 

だから、「見ろ!」って

思っていたんだと思う。

 

 

でもだんだん

自分で自分を見るようになり
(面白いことに、

そのころから自分の動画を見ても

吐きそうにならず、

客観的に見れるようになった)

 

 

観られようとしなくても

見守ってもらっていると感じられ

 

 

自分が自分に居場所を与えれば

どこにいても

そこが自分の居場所だって

感じられるようになった。

 

 

そうしたら今度は、

そこにいてくれる人を

喜ばせたくなった。

めちゃくちゃ楽しませたくなった。

 

 

いっしょに遊びたくなった。

 

 

そこでデモの内容も

私ってこんなことできるんです、

すごいでしょ、すてきでしょ

見て見て!

ではなく

 

 

こんなことになったら

笑っちゃうでしょ

面白いでしょ

びっくりするでしょって

楽しいでしょ、って

 

 

そういうのをやりたくなって

エンタメ的につくるようになった。

 

 

アイデアがどんどん出て

作品的にルーティンを作るようになり

エンタメをやりきった

それが2022年。

 

 

やりきって

出し殻になって

アイデアもぜんぜんでなくなって

 

 

そんな中

最後に踊ったのが

12月のスタジオパーティーでのワルツ。

 

 

なんのために踊るのか

わからなくて

だからなにかのためではなく

ただ自分と先生と

音楽とフロアを感じて

踊るしかなかった。

 

 

ダンスするためだけに

ダンスした。

 

 

それが過去でも未来でもない

「今にいる」

っていう体験になったのかも。

 

 

なにもコントロールしようとしない。

 

 

観客の想いも

上手に踊ろうとすることも

先生からの評価も

ぜんぶ頭から消えて

 

 

今踊っている自分だけ。

 

 

それに集中していた。

 

 

拍手をもらったかどうかも

よく覚えてないし

そんなダンスがどうだったかも

気にもならなかった。

 

 

でも終わってから

今までになくいろんな人が

感動した

すごかった

息をのんだ

よかった

自分も踊りたくなった

 

 

ってわざわざ言いに来てくれ

 

 

そういうことかあ

ってちょっとわかった。

 

 

このダンス人生の第一段階は

コントロールの

ステージだったんだ。

 

 

自分のことはもちろん

相手

見ている人

 

 

いろんなものを

自分の望む理想に向けて

コントロールしようとしていた。

 

 

理想以外は失敗

 

 

だからストライクゾーンが

めっちゃせまかった。

 

 

狭いストライクゾーンを

ひたすら目指したから

そりゃ燃え尽きるわ。

 

 

でもだからこそ

成長もできたし

厳しく自分をみれた。

 

 

次のステージは

コントロールじゃなく

今ここに集中、なのかも。

 

 

よく気にかけてくれる

仲良し先生も

「もうちょっと

気をぬいたら?」

って言ってた。

 

 

今ここに集中と

気を抜くって

同じことなのかも。

 

 

こんな風に

じっくりゆっくり

考えられて

燃え尽きも踊り場も

悪くない。