首の声 | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

タイトルだけ見ると

なんかオカルトチック?!


水曜の朝、首筋が急に

ぴきぴきかたまり出して

上も左も向けません、状態に。

 

 

すぐストレッチして

「やわこ」でぐにぐにして

動くようにはなったので

レッスンへ。

 

 

でも夜から昨日にかけては

またごりごりに。

 

 

そこで昨夜

首筋に手をおいて

聞いてみた。

 

 

どうしたの?って

 

 

誰に?
首筋に、ですよ。

 

 

そうしたら首から

仙骨までびゅんとつながって

脊髄から返事がかえってきた。

 

 

「踊りたい!」って。

 

 

踊りたい!

踊れ!踊れ!踊れ!

 

 

強い声。

 

 

燃え尽きて
一度止まろうと考えて

レッスン減らして

外のスタジオにいったりしたけれど

やっぱりしっくりこなくて

先週は今までの半分ぐらいしか踊らなかった。

 

 

仕事モードに頭がなって

そろそろ遊びをやめる
そういうタイミングだよねって

納得していたんだけれど。

 

 

どうやら脊髄は、

身体は納得してなかったみたい。

 

 

身体も魂も

踊りたがってた。

 

 

そしてその声に
踊っていいんだ~~

って少しびっくり。

 

 

世間一般の同年代の女性たち

いやちがう、

母のような女性たちと比べたら

思い切り好きなことしている。

 

 

たがが外れたように。

 

 

自由に心のままに

している自由人間だと思っていた。

 

 

実際、やりたいことを

やることに

誰の許可もいらない環境だし

マインドだし

「自由でいいですね」って

言われたりもする。

 

 

でも本当はまだ

ここまでならいい?
ここまではダメですよね?

っていう気もちが

どこかにあったみたい。

 

 

本当に際限なく自由であることと

すっごい広い許容範囲ではあっても

どこかに制限のある自由では

同じだけ自由にしても

まったく、正反対なぐらい違う。

 

 

自由だと思っていたけれど

ある程度自由、

許される限り自由、

の制限ありカテゴリーに
まだいたみたい。

 

 

その内面が外側に現れて

外からの制限に

なっていたんだと思う。

 

 

やりすぎたら

人としてダメだから

ぴしゃっと

しっぺ返しが来るんじゃないか、

みたいにびくびくしてた。

 

 

本当にどこにも

制限がない心の人は

自由であることにすら

気にしないはず。

 

 

空気があるかないか

普段気にしないのと同じように。

 

 

脊髄の声は魂の声だった。

 

 

ばちを当てるどころか

むしろ踊れとしかれられた。

 

 

脊髄の声が

解き放つきっかけになるかしら。

 

 

「踊れ!」

 

 

エースをねらえ!

の生方コーチの
最後の声みたいだわ。