正しさって自分軸じゃない | ボールルームの魔法♡社交ダンスオタクの気ままおしゃべり

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社交ダンスについて興味のままにあれこれ書いてます

アメリカンスタイルを中心に
競技、選手やドレス
レッスン、身体のケアなど
気の向くままのおしゃべりです。

正しい踊り方

正しいステップ

正しいフレーム

 

 

自分に自信がないと

ダンスにかぎらず

正解を求めてしまいがち。

 

 

できないことがあると

自分は間違っている、

と思ったり

 

 

あるいは

自分ではない何か他のものが

間違っていると思ったり。

 

 

だれが間違えた?

なにが正しくない?

 

 

本当は「正しい」答えはない。

 

 

正しい、ってなにってなると

フレームを作る腕の正しい角度は100度とか

ワルツのロワーのステップは

その人の身長の2/3の長さとか

そういうことになってしまう。

 

 

でもダンスは

誰と踊るか

どんな風に音楽をキャッチするか

表現するか

どこで踊るか

 

 

などなど

いろーんな要素で踊り方が変わる。

 

 

むしろ変わらないとおかしい。

 

 

二人が心地よく踊るために

こうした方がいい

はあるだろう。

 

 

そしてそれは、

専門的な経験や知識に

基づいた解かもしれない。

 

 

それでも

最終的にこれがいいね、

という正解はあくまで

いろいろな可能性のなかでの

その時のベストであって

普遍的な正解じゃない。

 

 

正しさを求めてしまうというとき

基準が自分でない別のところにある。

 

 

正しさは自分で決めるものではないから。

 

 

リーダーとしての正しさ

フォロワーとしての正しさ

人としての正しさとか

社会人としての正しさとか

友達としての正しさとか

親としての正しさとか。

 

 

正しさとくっついていることが多いのが

信念、という言葉。

 

 

「信念に従わない

自分は許せない」

 

 

なぜ?

「信念にそむくのは

正しくないから。
正しくなかったとき

自分は許されない」

 

 

誰に?

 

 

つまり

許す誰かが他にいるってこと。

だから他人軸。

 

 

正しさの基準はとても流動的。

人殺しや不倫ですら

正当化される時代や文化があるのだから。

 

 

正しさではなく

心地よさ。

 

 

二人で踊るなら

二人が心地よくないと

結局自分も幸せじゃない。

 

 

正しい○○って言われると

それは誰にとっての?

って

きゅーくつに感じちゃう。