季題を超える「宇宙原理」 | 五島高資のブログ

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 元禄二年、七夕の夜、松尾芭蕉は『奥の細道』で〈荒海や佐渡によこたふ天河〉と詠んだ。荒海には、佐渡の歴史的明暗あるいは芭蕉自身の漂泊の人生などが重なるが、それも所詮は仮の世のこと。雄大な銀河を天空に横たえる造化の妙を全身全霊で受け止めてこそ天人合一という至境が掲句に開かれたのである。ここにおいて「天河」は季題や季語を裏打ちする太陽原理を超えて造化随順つまり宇宙原理に根ざすものとして機能することになる。些末写生や季題諷詠に拘泥して停滞する現代俳句が取り戻すべきものがここにある。

 

  太陽は律儀で難儀芹に花     鳥居真理子

 

 『月の茗荷』(角川書店)からの一句。ほとんどの歳時記で、芹は春、芹の花は夏の季語となっている。ところが、榎本其角の〈うすら氷やわづかに咲ける芹の花〉について山本健吉は「『芹の花』によって春の句となる」と述べている。本来、無限定なる森羅万象を律儀に分別すること自体難儀なのであり、もっとも、俳句の本分がそんなところにはないのである。同じ作者の〈嗽するたびに近づく銀河かな〉〈天の川肉もこころの類なる〉では、人体あるいは生命という小宇宙と星々の耀く大宇宙との深い共鳴が詩的昇華されていて琴線に触れるものがあった。

 

  流星を両手で掬う洗面器     対馬康子

 

 掲句所収の『天之』(富士見書房)の後書きには「時間を創造し、風土を顕現せしめ、新たな関係性を創造するという喜びをあきらめることなく」と述べられている。海外生活の多い対馬さんにとって四季のない国での句作は難儀だったに相違ないが、天の原を振り放けて見る流星と日常生活との新しい関係性に季題を超えるべき深い詩性が耀いている。

 最後に『祈りの天』(ふらんす堂)から昭和五二年生まれの新鋭の句。

 

  星涼し夜空に沖のあるやうな     日下野由季

 

 季節感が薄れゆく現代にあって宇宙的スケールの詩性が実に頼もしい。

 

                                           初出 : 朝日新聞「俳句時評」