二〇〇九年二月十九日、阿部完市が亡くなった。第九回・現代俳句大賞の受賞が決まった矢先の出来事だった。
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり 『にもつは絵馬』
初期から最晩年に至るまで阿部の作風は季題諷詠や客観写生はもとより、言語表現における固定観念化された「意味」さえも解体し「非意味」的連想によってその詩的創造が展開される。「加藤郁乎の非具象俳句、無意味俳句も、反意味であって意味俳句と無縁ではなかった。(中略)阿部の「非意味」の決定的な新しさである」と宗田安正は指摘したが、まさに掲句は、一句を貫くi音の押韻による内部旋律と詩句の意味性が相互浸潤しつつ一つの直感的言表をのみ提示しながら、例えば、あられた走る那須の篠原、男体山の雪渓、あるいは雷都・宇都宮のことなど、「非意味」的な連想によって様々な詩趣が琴線に降り注ぐ。
このように「非意味」が「無意味」に堕することなく詩的創造による新しい「意味」の出現を可能にするためには、師の金子兜太が謂う「阿部完の韻律」、俳句という言語表現、そして阿部の心身が一体であるいう新たに統合された詩的次元の開闢が必要になる。則ち韻律を「声」、言語表現を「字」、そして、心身を「実相」とすれば、阿部の詩的創造はまさに『声字実相義』における真理の探究に近いことに気付く。
豊旗雲の上に出てよりすろうりい 『軽のやまめ』
上昇して安定飛行に入った飛行機にての吟か。豊旗雲という措辞によって飛行機はまるで天の磐船のように時空を滑る。さらにslowlyの発音を平仮名表記することによって「すろうりい」は洋の東西をも跋渉して融通無碍なる至境にあって空の旅を全身で体感している作者の姿が彷彿される。
「今までの私の俳句を超えて〈私の枠〉の外に立つことを思っている」という阿部完市は、不断なる旧染の打破を自分自身の句業に課すということにおいて、芭蕉が志向した「軽み」に通じる真の俳諧精神を体得した数少ない俳人だっただけに俳句界にとって大いに参考にすべきものがある。阿部俳句の真摯な再評価が期待される所以でもある。
初出 : 朝日新聞2009年5月