暑中お見舞い、申し上げます | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 「不易流行 -日本再生に向けて-」をタイトルにして、12年前の、2010年4月3日に始めました、このブログ。当時、僕は42歳でした。お陰様で、この文章が、1,143本目の投稿になります。その前年の夏の衆院選で、僕の予想に反し、大手メディアの予想通りに民主党政権が誕生しました。このことは、僕にとって、衝撃的でした。

 

 僕のような無名無力の者が、政治に関わらなくても、我が祖国、日本の要所要所には、少数ながら、必ず、知情意、どの要素も、しっかりとしたものを兼ね備えた人物がおられるので、もしも、著しい不公平が生じても、時が経てば、その人達の、全く目立たないけれど、重要な働きによって、解消されるはずであって、僕のような者が、下手に、政治に口を出すことは、そういう見識、胆力のある人達の、目立たないけれど、重要な仕事の邪魔になるとさえ、僕は、思っていました。

 

 が、その認識が、大間違いであることに気付かされ、参議院議員の被選挙権(公選法10条1項)を得てから12年も経って、遅ればせながら、少しずつでも、政治に関わっていこうと思って、書き始めたのが、このブログです。書き始めてから、更に12年の歳月が過ぎましたので、現在、54歳です。

人生の残り時間が、そう多くありませんので、死ぬまでに試みておきたいことを、なるべく実行してから、今際(いまわ)の時を迎えるために、諸々、棚卸しをして、草臥(くたび)れかかった体と心を、騙し騙し、動かしていかなければと、思っているところです。

 

 6年前にも申し上げましたが、僕は、7月下旬から8月上旬にかけて、吉田拓郎さんの『7月26日未明』(作詞、吉田拓郎さん)と、『いつも見ていたヒロシマ』(作詞、岡本おさみさん)を、よく聴きます。

前者からは、「生きて生き恥を晒し、死んで死に恥を晒すことになろうとも、何かを始めよう」とする時の思いを、そして、後者からは、次世代の者に対する、申し訳ないという複雑な思いを、感じます。

 

 拓郎さん、お疲れ様です。そして、皆さん、暑中お見舞い、申し上げます。

 

 

神奈川県横須賀市にて

佐藤 政則