英領香港(英屬香港、British Hong Kong)が、1997年7月1日に、中国に返還されてから、間もなく、25年になります。因みに、英領香港が返還されて以降、日本の領土からもっとも近い英国の領土は、インド洋にあるディエゴガルシア島(2036年まで、米国に貸与)です。
余談ですが、米国ハワイ州(1959年ー)の州旗、そして、ハワイ王国(1795年ー1893年)の国旗には、いわゆるユニオン・ジャックの図柄が含まれていますが、ハワイは、英国の領土に、一度もなっていません。州旗以外のもので、ハワイに残る英国の痕跡、残り香のようなものとしては、ホノルルにあるベレタニア(Beretania)通りという大通りの名称ぐらいでしょうか。ベレタニアは、ブリテン(Britain)を意味します。
で、「誰が統治するか」を巡る争いが、人間の世界にはずっとあり、今もあります。アヘン戦争の最中の1841年1月20日に、川鼻島(現在、広東省東莞市)で停戦協議が行われ、現場レベルで一応の合意(最終的には調印されず)がなされた直後の1月25日に、英国は一方的に、香港島に上陸し、翌日の1月26日に、香港統治を開始しました。香港では、この日、1841年1月26日は、開埠の日(ビクトリア・ハーバーが開港された日)とされています。
英領香港は、1997年7月1日に返還されるまでの間に、英領でなくなった期間があり、それは、日本が占領した、1941年12月25日から1945年8月15日までの、3年8か月です。日本は、真珠湾攻撃(ハワイ海戦)開始と時を同じくして、香港作戦も開始しました。
英領香港側の正規軍(民兵、義勇兵、ゲリラ兵などの不正規軍は含まない)の兵士の構成は、国籍で申し上げれば、イギリス人、インド人、カナダ人が大部分を占め、香港人は、僕が調べた範囲では、香港華人軍團(Hong Kong Chinese Regiment)の51名のみで、この部隊が組織されたのは、香港作戦開始の約1か月前の11月4日だそうです。
[注記]
香港華人軍團の情報の源は、中国語版のウィキペディアなので、情報の精度は高くないです。香港浸会大学(HKBU)・鄺智文助教授の「二次大戰期間的香港華籍英兵」という題の文献が見つかりましたが、中国語の文献なので、僕は読めません。ご興味がお有りの方は、クリック(タップ)してみて下さい。パソコンの場合、クリックすると、PDFファイルがダウンロードされると思います。
かなりざっくりと申し上げれば、返還前は、英国軍が香港防衛の任に当たり、返還後は、人民解放軍がその任に当たっています。香港人は、争いの歴史に翻弄され、香港防衛の任から、かなり距離をおくことを余儀なくされてきました。
「この状況は、先の大戦後の日本人の状況と、少し似ているなぁ」と、2019年9月に香港を訪れた後に、僕は思うようになりました。今まで通り、経済にばかり注力し、国防を疎(おろそ)かにし続けて、本当に良いのか。そのような視点で、今一度、自国の憲法を振り返ってみることも、意義のあることではないでしょうか。
日本国憲法施行75周年の日に
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則