2か月半ほど前の夏の暑い日に、横須賀市に隣接する横浜市金沢区の、現在の海岸線から少しだけ内陸の場所で、重機を操作されていた方が、重機ごと、かつて油槽として使われていた巨大な地下式のタンクに転落して亡くなられるという、痛ましい事故がありました。
その場所は、先の大戦後に米国に接収された後、15年前の2005(平成17)年に返還された米軍小柴貯油施設の跡地です。偶然ですが、小柴というのは、幕末の安政の世において、米国のタウンゼンド・ハリス駐日総領事が、歴史的には不平等条約とも呼ばれる日米修好通商条約の締結を、武力で脅しながら日本に迫るために、つまりは、砲艦外交(gunboat diplomacy)をするために、米海軍のフリゲート艦ポーハタン号(USS Powhatan)で江戸湾に入り陣取った場所である「小柴沖」の、小柴です。
(これまた、全くの余談ですが、米海軍ポーハタン号は、1860年に、日米修好通商条約(1858年に締結)の批准書を交換するための日本の遣米使節団を乗せて、日本から米国に戻りますが、その際に、サンフランシスコまで随行した咸臨丸は、品川を出発して横須賀の浦賀に寄り、物資の補給などをした後、1860年2月10日に浦賀を出発し、同年6月23日に浦賀に戻ってきたそうです。)
東京湾岸にある、もしくは、あった軍関連の貯油施設としては、上述の小柴貯油施設以外に、米海軍横須賀補給センターの管理下にある吾妻倉庫地区内の、吾妻島(あづましま)にある施設、同じく米海軍横須賀補給センターの管理下にある鶴見貯油施設などがあるようです。このような軍事上重要な施設も、日米合同委員会(U.S.-Japan Joint Committee)などを通じて、がっちりと押さえられているということでしょうか。
ここのところ、三浦半島とその周辺では、異臭騒ぎが続いていて、神奈川県の記者発表によれば、ガソリンなどに含まれるイソペンタン、ペンタン、ブタンなどの物質が検出されたとのこと。それで、情報が公開されにくいと思われる軍関連の貯油施設を調べてみましたが、別段、怪しさは感じませんでした。
検出された成分が、一度は人の管理下にあったものに由来するのか、はたまた、そうではなくて、全くの自然由来のものなのか、全く分かりませんが、「いずれにせよ、地下深くで少しずつ、地層にずれが生じているのかも。火山噴火や大地震などの天災は、忘れた頃にやってくるもの。改めて、気を引き締めなければ」と思いながら、僕は三浦半島で暮らしています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則