政治の、ドロドロした話題や、きな臭い話題ばかり続けるのも、あまりに無粋なことだと思いますので、今回は、147年前、1872(明治5)年の10月14日に、新橋と横浜の間に鉄道が開通したことに思いを馳せ、遅ればせながら、鉄道に関することを書かせていただきます。
東京駅から「のぞみ」に乗り、途中、乗り換えて、山口県にある下関駅で下車し、下関港から船で大韓民国の釜山に渡り、釜山駅から、ソウル駅(旧・京城駅)、平壌駅を経由して、瀋陽駅(旧・奉天駅)まで。この旅程の鉄道は全て、日本の資金と技術を元にして敷設されたものです。
国境の街、内モンゴル自治区の満州里から、ハルビン(哈爾浜)を経て、これまた国境の街であるスイフェンホー(綏芬河)までの、いわゆる東清鉄道(清(しん)の東部を走る鉄道)の本線と、ハルビンから、上述の瀋陽を経て大連までの、東清鉄道の支線は、ロシア帝国が敷設したものです(ウィキペディアの「満洲国の鉄道路線図(1945年8月)」を参照)。
東清鉄道の支線のうち、長春(旧・新京)と大連の間は、日露戦争後のポーツマス条約によって、日本に譲渡されました。現に、ロシア帝国は大連まで勢力を伸ばしていた訳で、「もし、日本が日露戦争で敗れていたら」と考えると、ぞっとします。
中華人民共和国の習近平主席は、主席就任以来、「中華民族の復興」を目指され、版図の拡大に、それはそれは、ご熱心なようですが、「中華民族の土地と呼べる地域は、中国語圏の人が、華北、華中、華南という語で、思い浮かべる地域だけである」と、僕は思っています。内モンゴル自治区や、新疆ウイグル自治区、チベット自治区などの自治区は、もちろんのこと、万里の長城の外側にある地域は全て、確実に、中華民族の土地ではないでしょう。
鉄道の話から逸脱してしまい、きな臭い政治の話になってしまいそうなので、今回の投稿はここまでと、させてください。
東京都世田谷区にて
佐藤 政則
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