戦争中の国に制裁を課せば、その国が軍事オプションを選ぶ蓋然性が高まる | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

パールハーバーではなく、ABCD包囲網こそ、忘れるな

(Remember not Pearl Harbor, but so-called "ABCD powers.")

 

 

 昨秋のことだったか、記憶が定かではないのですが、「どこかの国で、『党の歴史経験などに関する決議』なるものが決議された」との報道を目にし、その、ど直球さ加減に、正直驚きました。なぜなら、そんな決議をしたら、「オレが決めた『歴史』こそ、『歴史』なんだよ。オレが決めた『歴史』に異論を唱える者が、もしもいたら、愛国心が根付くまで教育を受ける機会、もしくは、鍛錬する機会を付与するぞ」と、高らかに宣言しているようにしか、僕には聞こえないからです。

 

 つい最近、インターネット上で、「真珠湾攻撃(=ハワイ海戦)を忘れるな」という言葉を、初冬でもないのに数回見かけました、ぱっと見かけただけなので、どういう文脈で使われていたのか、詳しくは存じ上げませんが。その伝でいくと、今、僕が申し上げたいことは、「ABCD包囲網を忘れるな(Remember "ABCD powers.")」ということになるでしょうか。

 

 1937年7月7日の晩に、北京郊外にある盧溝橋という橋の付近において、日本軍と中華民国の国民革命軍の間で勃発した事案を発端に、戦線が拡大していった、いわゆる日中戦争。その日中戦争の最中である1940年9月23日、日本軍は、英米などが中華民国に軍事支援の物資や人員を輸送するのに利用している陸路を遮断するなどの目的で、仏領インドシナの北部(ベトナムの北部)への進駐を開始。翌月、米国が、くず鉄の実質的な対日全面禁輸を施行。

そして、同じく、日中戦争の最中である1941年7月28日、日本軍は、対英米戦を睨んで、仏領インドシナの南部(ベトナムの南部)への進駐を開始。米国は、その直前の7月25日に、対日在米資産凍結令を公布し、日本軍の進駐開始直後の8月1日には、石油の実質的な対日禁輸を発令。

 

 戦争中である、敵側の国に対し、経済制裁や金融制裁を課せば、どうなるか。制裁を課されて追い詰められた戦争当事国に残された選択肢全体に対する、軍事的な選択肢の割合は、確実に高まります。つまり、軍事的な選択肢を選ぶ蓋然性(probability)は、確実に高まります。

81年前の夏に、原油や石油製品の輸入を止められた我が国は、その後、どのような選択肢を選び、どのような結果を招来して、西暦1945年、昭和20年の8月15日を迎えるに至ったのか。

 

 戦闘行為をとことん長引かせれば、軍需品や装備をどんどん納入できるし、原油などの価格が高止まりして、幾重にも潤う。そう考える勢力が、恐らくは存在するであろう人間の社会において、日本人として、どう行動するか。凡人である僕には、難しすぎる問題です。

 

 

神奈川県横須賀市にて

佐藤 政則