前々回の投稿の冒頭で、かなり抽象的な物言いをし、その補足説明などもせず、そのまま放置してしまった表現がございました。
「善悪の二元論に傾くことは、合意を形成し、共存共栄の仕組みを作り上げ、調和を実現することに繋がらない」の、「善悪の二元論に傾く」という部分です。
ビリー・ジョエルの1976(昭和51)年5月19日発売のアルバム『ニューヨーク物語(Turnstiles)』に、『Prelude/Angry Young Man』という歌があり、その歌詞の三つ目の連の頭に、
I believe I've passed the age of consciousness and righteous rage
(僕の意訳)今は、こんな老いぼれだけれど、正義感の塊のような時代を経て、こうなったんだよ
という表現がございます。若いときは特に、巨悪に接すると、どうしても、「あちらは、100%悪で、こちらは、100%正義」という風になりがちです。ましてや、法を調べ法を遵守しながらの闘争であれば、なおのこと。
複雑な要素、力関係が絡み合う複雑系(complex system)である現世において、そういう善悪の二元論に陥ってしまえば、どうなるでしょう。もし、あなたの愛する人が通り魔に殺されて、その刑事裁判で死刑判決を勝ち取り、死刑が執行されて、あなたの心は救われるでしょうか。殺人犯の親を恨み、殺人犯の配偶者を恨み、殺人犯の子を恨み、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、あなたの心は、救われるでしょうか。
大変、難しい問題なので、僕のような未熟な者が断定的なことを述べることはできません。また、この拙ブログは、一応、政治ブログなので、「では、『あちらは悪、こちらは正義』という心の態度の者同士がぶつかり合って、政治を前に進める、つまり、政策を立案し、合意を形成し、その政策を実行して、共存共栄の社会を実現していくことは、できるでしょうか」と、問いかけたい。そういう思いで、「善悪の二元論に傾く」という抽象的な物言いを使ってしまった次第です。
今のままでは、来月の24日に予定されている、香港18区の区議会の区議会議員選挙の執行が危ぶまれ、香港人の皆さんの、西側自由主義陣営が守ってきたものを死守する戦いの戦況は、益々悪化してしまうと、危惧しております。
ツイッターという場でさえ、自由な発言をしづらい場になっていくことを、どうやって阻止していくか。西側自由主義陣営の大人の胆力と識見が、厳しく問われていると、感じています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則
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