勧善懲悪は、あくまでも、小説などの世界における話であって、人の生活、生き様そのものを扱う政治という世界において、善悪の二元論に傾くことは、「合意を形成し、共存共栄の仕組みを作り上げ、調和を実現する」ことに繋がらない。
51年以上、日本という恵まれた地で、恵まれた環境の中で、凄惨を極めるような場に放り込まれることもなく、「とりあえず、明日も明後日も今日と同じような平凡な日々が続く」ことを当然のことと思いながら生活をさせていただいてきて、僕は、そう思っています。
僕と同じ世代の者が小学生の頃は、安田講堂事件、70年安保、大阪万博、米国系ファストフードチェーンの上陸、浅間山荘事件、沖縄返還、吉田拓郎さんの「結婚しようよ」のヒットと最初のご結婚、パンダの来日(パンダ外交、パンダ戦略の開始)、第1次石油危機、米国系コンビニエンスストアの上陸などの後で、大衆消費社会という言葉が使われ始めた頃なのですが、当時、成田空港建設の問題が、どんどん激しくなっていました。
子供ながら、「ヘルメット、サングラスに、マスクやタオル」という身なりを見て、一体、何をやっているのだろうと、思いました。その後、あまり時間を経ずして、そういう身なりの人、そして、そういう身なりの人と対峙している機動隊の方々の両者は、それほど、歳が離れていない若者同士であることに気付き、暗澹たる気持ちになりました。若者同士が火器や武具を持ってぶつかり合っていて、その上にいる大人は、何をやっているのだろうと。
漱石の享年を、もうとっくに過ぎ、つまり、亡くなっても、「前途有望な」とか「前途洋々たる」などの枕詞を付け加えられたら、空々しさを感じ兼ねない歳になり、一日本人として、与えられた残りの時間を、どう過ごすのが最善か。結論らしきものは何も出ず、とりあえず、香港の刑法や公職選挙法に相当する法令(香港立法会のデータベース、HK Leagal Information Institute)や、国連の憲章や手続規則などを、僕なりに研究しています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則
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