前回の投稿で、あまり再生回数の多くない動画へのリンクを、貼らせていただきました。その動画の中に、
The "Remember the Removal" bike ride is one way to ensure that our future leaders don’t forget the past and always honor the sacrifices our ancestors made.
(『強制移住を忘れないための自転車移動』は、次世代の指導者が過去を忘れず、犠牲となった先祖の方々を常に敬うことを、確実にするための行事です。)
という言葉が、あったからです。
人間の社会は、階層構造(hierarchy)になっています。国際的な通貨制度、金融制度の支配を基に、いわゆる先進国の権力機構(the Establishment)の更に上にいて、世の中を牛耳ることに、大層、熱心な一握りの人々の考えは、昔も、そして今この瞬間も、優生学(eugenics)思想です。
日本は、そういう考えに、ずっと対峙してきました。日本で、「犠牲となった先祖の方々を敬う」と言うと、すぐ、「軍国主義の再来か」と返す人がおられるようですが、それは、あまりに、人間の過去500年(half a millennium)ほどの歴史を顧みない発言だと、僕は思います。
人の世に、揉め事や争いは、付きものですが、そういう場合、我が国では、「自分達のほうが優れているから、劣っている相手方を殺したり、力ずくで従わせて当然だ」という発想はなかったし、今もないのではないでしょうか。
日本語には「村八分(揉め事の相手方が、火事の場合と葬式の場合、この二分(にぶ)のみ付き合う。火事は、放って置くと延焼する。死んだ人を放置するのは、道理に反するし、公衆衛生が保てなくなる)」という言葉がありますが、我が国では、なるべく棲み分けをし、争いを回避するよう努めてきたのではないでしょうか。
優生学思想に基づいて行動すれば、憎悪の応酬が止まらなくなることを、ほとんどの日本人は、心の奥で(nonverbally)、理解していると、日本人である僕は思っています。
八紘一宇(はっこういちう)、五族協和、大東亜共栄圏(*)。これらの言葉は、思想宣伝(propaganda)における、単なるお題目(slogan)に過ぎなかったのでしょうか。
様々な要因により、そう思われている方が、ひょっとしたら多いかもしれません。が、もし、それらの言葉が、お題目に過ぎなかったのなら、なぜ、スペインに支配され、次いで、米国に支配された歴史を持つフィリピンのドゥテルテ大統領(来月、令和元年の5月に、大統領としての3度目の来日が予定されています)やアキノ3世大統領は、半島の大統領と違い、決して反日的ではなく、そして、両陛下との会見(関連ニュースの動画は、こちらとこちら)を、殊の外、大切にされるのでしょうか。
先の大戦で勝った側(の、奥の院にいる者)が、わざわざ、その思想を修正したりはしない。「抵抗する者は殺害し根絶やしにして、奴隷のように従う者は生かし酷使する」という思想。
なぜ、日本人は、「法人税率は引き下げ、消費税率は引き上げる」という流れを変えることすら、できないでいるのか。あの空爆から74年の歳月が経って、なお、自国の首都の制空権を実質的に有しないことの異常さを、改めて感じ、呆然とするばかりです。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則
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