いたたまれない気持ちになった、昭和最後の日々 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 僕は、昭和の人間なので、情報機器に文字(text)を入力する際は、やはり、2次元ではなく3次元の鍵盤、キーボード(keyboard)を叩くのが、最も、性に合っています。なんせ、中学生のころに、「英語の勉強に必要だから」と、かなり強引な言い訳を言って買ってもらった、オリベッティの赤いタイプライターで、QWERTY配列のキーボードの操作を覚えた口ですので。
お若い方にとっては、「タイプライターって、何」という感じかもしれませんが、キーボードだけでなく、画面があって、その画面上で、文字の編集、つまり、文字を削除したり、挿入したり、上書きしたりできるということは、「夢のまた夢のようなこと」だったんです、ほんの30数年前の昭和50年代、60年代においては。

 満25歳の御年齢のときに、葉山の地で、皇位継承の儀式に臨まれた昭和天皇が、昭和64年1月7日の朝に、崩御されたとき、僕は、20歳の、今以上に世間知らずの若者でした。世間知らずの若者でしたが、崩御されるまでの「輸血に次ぐ、輸血」の報道に接し、何だか、いたたまれない気持ちになりました。もちろん、医師団の先生方も、関係当局の役人の方々も、皆、心を一つにして、与えられた任務を全うされており、誰かを批判する積もりは、毛頭、ございません。

 ございませんが、満20歳の御年齢のときに摂政に就任され、以後、重責の中で、激動の時代を、日本国民と共に歩まれた昭和天皇が、ご高齢になり、輸血に次ぐ輸血の末に、崩御されるその瞬間まで、「重責から離れ、個人の時間を、ゆっくりとお過ごしになることがなかった」とすれば、大変申し訳ないことであり、「今上陛下がご高齢になられた際の、摂政の就任や皇位の継承」について、議論を深めておくべきではないか。
そういう思いがあって、2年ほど前に、摂政に関する提案を、拙ブログにおいて、述べさせていただきました。

 我が国の首相は、必ず、国会議員です。我が国の国会議員は、「全国民を代表する選挙された議員」(憲法43条1項)です。我が国の首相には、即座に、国民を代表して、今上陛下に対する感謝の意を、表明していただきたかった。首相だけでなく、官房長官までも、「コメントを控える」と述べられたそうで、それを知り、僕は、がっくりとし、言葉を失いました。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則