「大きな政府か、小さな政府か」という不毛な議論 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 議会において審議を行い、法律を制定する。その法律の範囲内で、かつ、その地域における慣習や個々人が持つ道徳に基づいて、政治も生産も消費も、ありとあらゆる人の営みが行われる社会。そういう近代国家における政府は、誕生以来、ひたすら、肥大化の道を突き進んできました。

 当初は、夜警国家といって、治安維持や国土防衛のみが、政府の大きな役割でしたが、科学技術が発達し、社会が複雑になるにつれて、複雑になった社会を法律によって制御していく業務が増えていきます。いわゆるテクノクラート、高度な専門知識を持った官僚の登場です。
そして、「国民のうちの大半が農業従事者である」という単純な産業構造から、製造業や商業やサービス業に従事する者の比率が大きくなり、複雑な産業構造へと移行していく中で、公的な福祉サービスに対する需要が大きくなり、近代国家は、福祉国家としての役割を期待され、それを担うようになっていきました。

 ざっと駆け足で、近代国家の歩みを振り返ってみました。巷では、よく、「大きな政府がいいのか、小さな政府がいいのか」ということが議論されているようですが、僕は、「国民の状況によって、政府のなすべき仕事の量は変化するので、大きな政府と小さな政府、どちらがいいかは、一概には、申し上げられない。その時々の国民の状況に応じた大きさの政府であり続けるよう、常に調整をしていくことが大切である」と、思っています。

 早い話が、もし、泥棒が一人もいない国、悪事を働こうという横しまな考えを待つ国民が一人もいない国があれば、その国では、警察官も検察官も裁判官も、あまり仕事がないので、小さな警察庁、小さな検察庁、小さな裁判所で、充分、現実に対応できます。
以前、プラトンのいう哲人政治ついて、書かせていただきました。「哲学や道徳は、政治とあまり関係がない」と、なんとなく思っておられるような方を、時々お見かけしますが、僕は、「哲学や道徳と、政治は、大変、関係が深い」と思っております。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則