「ソ、ソ、ソックラテスか、プラトンか。ニ、ニ、ニーチェか、サルトルか。みーんな悩んで、大きくなったー」、思わず、これを、節(ふし)をつけて読んでしまった方がおられるとすれば、十中八九、その方は、僕と同様、昭和の御仁でしょう。
アテネで生まれ、最期は、ある意味で、哲学に殉じるかのように、獄中で亡くなった哲学者、ソクラテス(紀元前469年頃~前399年)。そして、その弟子であるプラトン(前429年頃~前347年)。
この世の政治家を分類すれば、様々な型の政治家がおられると思いますが、理想的な国家を作り、それを維持していくには、果たして、どのような人物が、政治指導者(political leader)になるべきでしょうか。
かのプラトンは、iOS版『山川世界史小辞典』によると、その著書『国家』(英訳版『The Republic』の電子書籍は、Kindleストアなどで無料で入手できます)の中で、「人間の魂の三つの部分に相応する三つの身分、すなわち、支配者、戦士、生産者を構想し、哲学者を支配者とする著名な理想国家像を描いた」そうです。世に言う、哲人政治です。
「21世紀の今、プラトンを持ち出すなんて、余りにプラトニック(platonic、理想主義的)過ぎやしないか」と訝(いぶか)るお方もおられると、思いますが、目標や旗は、掲げてこそ、目標であり旗です。
もちろん、プラトンの主張も、参考にするべき多くの考え方のうちの一つに過ぎませんが、議員の常軌を逸した言動や出来事ばかりが漏れ伝わってくる、日本の政界を思えば、つくづく、「政治家の本分は、一体何だろうか」と考え込んでしまうのは、僕だけでしょうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則