どの言語にも、婉曲表現というものがあります。婉曲表現とは、直接的な表現が憚られる場合に、遠回しに、それとなく指し示す表現のことです。例えば、間が違う、気が違う。稲作などを中心とする濃密な人間関係に基づく村社会を、長く維持してきた我が国の言葉、日本語には、様々な婉曲表現があります。
現在、「気が違う」の名詞形は、なぜか、使ってはならない言葉になっているそうですが、その名詞形の言葉も、もちろん、婉曲表現です。文豪、夏目漱石も、婉曲表現として、その名詞形の言葉を使っていたはずです。もし、その名詞形が「使ってはならない言葉」であるとするなら、「チビッ子」なんて、もっと、ダメでしょう。現に、背丈が伸びない症状の方が、この世には、多くおられるのですから。
「夏目漱石が婉曲表現として使っていた、その名詞形の言葉は、使ってはならない」という主張の根拠は、実は、そう言い張るご本人の語感のみです。一個人の語感は、甚だ恣意的なものであり、実際のところ、それを根拠と呼ぶのは不適切でしょう。
黒人、白人、黄色人種。これらの日本語は、外国語の訳語です。そういう外国語の言葉が、我が国に流入するまでは、「黒人、白人、黄色人種」などという日本語単語は、存在しませんでした。肌の色の濃い淡(あわ)いによって人を差別する概念は、日本語社会には、なかったということです。
このことを、是非、知っていただきたくて、僕は、僕のウェブサイト内の自己紹介の欄において、「肌の色は肌色」と書かせていただいております。複数の方から、ご質問をいただきましたので、改めて、そのご説明をさせていただきました。
何事も鵜呑みにしてはならない。僕は、そう思って生きております。税金をばんばん使って、「高価で華美な、笑顔の顔写真入り選挙ポスター」を、町中に貼り尽くさなければ、国会議員になれないとするならば、「エレファント・マン」や「エレファント・マンと同じような境遇の社会的弱者」は、実質的に、国会議員になれないということに、なってしまう。
僕のところにも、複数の選挙ポスター作成業者の営業担当者が、来られました。が、税金を使ってまで、「あんな高価で華美な、自分の顔写真入り選挙ポスターを、町中に貼り尽くしたくはない」ので、僕は、23円(A3白黒コピー代10円、透明OPP袋5円、画鋲8個8円)かけて、自費で選挙ポスターを作成させていただきました。別段、奇をてらった訳では、ございません。事情をお汲み取りいただければ、幸いに存じます。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則