原発ゼロと特例公債(赤字国債)残高ゼロ、二つのゼロ | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 「ゼロ戦」と呼ばれる、大日本帝国海軍の戦闘用航空機。漢字で表記すれば、零式(れいしき)艦上戦闘機。この零は、皇紀2600年を指しています。皇紀2600年は、西暦で言えば1940年、我が国の元号で言えば、昭和15年です。この年は、アジアで初めてのオリンピックが、東京で開催されるはずであった年です。

 東京オリンピックなどによって華々しく始まるはずであった、皇紀2600年から始まる100年間は、我が国の国土が外国との戦争の戦場になる、外国との戦争で敗北し国家主権が制限される、外国軍の駐留を認める条約を締結するなど、激動の100年間と申し上げても、言い過ぎではないと思います。

 更に申し上げれば、皇紀2600年から始まる100年間は、日本人が、初めて、「後に続く世代の日本人に有害物質の処分を丸投げしながら、エネルギー資源を消費して便利で快適な生活を送る」ようになった100年間です。また、皇紀2600年から始まる100年間は、我が国の政府が、初めて、「借金の償還、返済を、後に続く世代の日本人に丸投げして借り入れた資金を、短期の費用に充てる」ようになった100年間です。

 「原発ゼロ」と「特例公債(赤字国債)残高ゼロ」、この二つのゼロを、何としても実現させなければならない。「原発ゼロ」は即時、そして、「特例公債残高ゼロ」は、遅くとも、2039年度末までに。2039年度の末日は、2040年3月31日、皇紀で申し上げれば、皇紀2700年3月31日。僕は、そう思っています。
2040年3月31日から逆算すれば、もう、時間がない。これが、僕が、3年前倒しして、今般の参院選での出馬を決心するに至った最大の理由です。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則