僕は、もう随分前に、テレビ受像機を手放してからは、ほとんど、テレビ番組を見る機会がないのですが、先月、独居の父が住む実家に顔を出した際に、居間にあるテレビが点いていたので、見るとはなしに見ていました。そうすると、父が、「あれっ、これ、尾道やな」と言って、急に、戦後すぐの出来事をつぶやき、僕は、驚きました。
父は、昭和10年生まれなので、昭和20年8月15日に玉音の放送がなされたとき、10歳前後でした。愛媛県松山市で生まれ育った父が、テレビの旅番組で、尾道が紹介されている画面を見て、「ここ、行ったことあるわ。戦争が終わって何にもなかった頃、買い出しのために、船に乗って、尾道に行ってたんや。嫌な時代やった。往きに乗った船が、(広島の)宇品に行って、また尾道に戻ってくるまでに、用事を済ませへんと、松山に帰れなくなるから、必死やったわ」と、独り言を言うように呟きました。
独り言と解し、闇米の買い出しに行かされていたのかどうか、訊きはしませんでしたが、とりあえず、驚きました。父に、そんな少年時代があったとは、今まで、想像したこともありませんでした。消し去りたいほど嫌な思い出だから、今まで、口外していなくて、ふと、テレビの中で見た、尾道の光景の中の何かが、古い記憶の重い扉を開けたのでしょうか。
そんな父や、父と同じ世代の方々は、パソコンの鍵盤を叩けば、その当日、美味しい白米が宅配される今のご時世を、どう思っておられるのでしょう。先の大戦における戦闘行為が終結してから、71年。「早い者勝ちの、天然資源の奪い合い」という構図は、変わらないままです。特に、地球の内部奥深くから産出する産物は、その一定の割合を人類の共有財産とし、この構図を変えていくべきであると、僕は考えています。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則