お金を支払って楽をすることの、光の部分と影の部分 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 英国の辞書編集者(lexicographer)であるサミュエル・ジョンソンの有名な言葉、
「ロンドンをつまらないと思う者は、人生に疲れ果てた者だ。なぜなら、ロンドンには、現世が与えてくれる全てのものが揃っているのだから」
(When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.)

 この言葉に触発されたのかどうかは分かりませんが、東京が、半狂乱のバブル景気に酔いしれていた頃、
「東京は、何でも揃っていて、とても楽しい街だ。もしも、あなたが、カップ1杯のコーヒを飲むのに2千円支払っても、何とも思わない種類の人間であるならば」
(You could enjoy yourself in Tokyo, where all you want is around, if you were a person to pay 2,000 yen casually for a cup of coffee.)
という言葉があったとか、なかったとか。

 今の僕は、「ロンドンをつまらないと思う者」であり、かつ、「最も緊張せずに(=リラックスして)飲めるコーヒーは、家で自分で淹れて飲む安いコーヒーだと思う者」です。結局、お金には、「赤の他人に何らかの行為(例えば、物品や役務の提供)をしてもらう契約を結ぶ際に、相手方に、より多く交付することを約束すればするほど、相手方にしてもらう行為の量や質が良くなる」という効力がありますが、それ以上のものではありません。

 赤の他人にお金を渡して、何かをしてもらうということは、即ち、「自分は、お金を渡す以外、大したことは何もしない」ということです。みうらじゅん氏が仰る通り、人は、生まれ落ちた瞬間から死に向かって進んでいる訳で、「お金を渡す以外、大したことは何もしない」ということは、自分の身体的な能力や精神的な能力を向上させないばかりか、成長期を過ぎた人の場合、それらの能力の低下を促進し兼ねないということです。
なので、結局、人生は、死ぬまで修行のようなもの、そういう側面もある。僕は、そう思っています。

 きょう4月8日は、灌仏会(かんぶつえ)花祭りの日。お釈迦様の誕生日です。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則