資本主義と共産主義は、本当に対義語なのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 お恥ずかしい話、「資本主義」という言葉が、どうも苦手で、試しに、この語を検索語として、このブログ内を検索してみても、この文章を公開する前の段階において、一件も引っかかる情報が、ございません。
中学校の教科書の中で、確か、共産主義と対比する形で、資本主義が紹介されていたと思うのですが、それを読んだ中学生のとき、既に、「変な言葉だな」と感じ、その後、今に至るまでずっと、この語が苦手です。そのせいか、この語を、しれっと使われている著名人を見聞きすると、「僕とは、違う世界に住んでおられる方なのだ」と、ついつい思ってしまいます。

 「体が資本」という言葉もございますが、「資本主義」における資本とは、もちろん、お金のことでしょう。お金なら、共産主義を標榜する国にも、あるはずです。僕は、中国共産党が事実上独裁し、中国共産党に異を唱える政党の立党が許されず、完全普通選挙が行われていない国である、中華人民共和国の上海に、昔、30回近く渡航したことがありますが、総じて申し上げるならば、上海人のほうが日本人よりも、余っ程お金に対して貪欲で、上海の街中を歩いていても、都会育ちではない日本人である僕などから見れば、えげつないと感じるような屋外広告物が至る所にあります。
余談ですが、上海の公道における自動車運転の有りようも、僕が日本人であるせいでしょうか、ついつい、「えげつないし、やたらとクラクションを鳴らし、うるさいわ」と思ってしまうような有りようです。

 正直申し上げれば、「資本主義」という言葉と、よく対比される「共産主義」という言葉も、実は、しっくりと来ておらず、苦手な言葉です。そもそも、全知全能の者ではない人間が、一人でできることは限られている上に、人間は群れる動物、社会的な動物なので、人間は、大昔から、家族を作り、社会を作り、分業をしてきたはずで、人間の歴史とは「分業をし共に生産をしてきた歴史」であるはずです。

 何事も鵜呑みにしない、いや、できないというのは、生きづらさに繋がり易いので、あまりお勧めできませんが、困難にぶち当たったときなどは、物事を一つ一つ、焦らず精査することは、とても大切であると、僕は思います。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則