あー、今思えば、申し訳ないことをした、すまない。不惑をとっくに過ぎ、心の中のどこにも、そういう思いをしまっておられない方は、人間ができたお方は別として、あまりおられないのではないでしょうか。
生きていれば、泣いて馬謖(ばしょく)を斬らざるを得ない場面もあるでしょうし、若気の至りで、「あのときは、気付かなかった、分からなかった」ということもあるかと、思います。
この世には、「不当な扱いを受けた、損害を被った」と言って、相手方に謝罪を要求する人がおられますが、僕は、「謝罪を要求された後に、要求された通りに対応することは、謝罪もどきであって謝罪ではない」と思っていますので、今まで、他人に謝罪を要求したことはありません。
そもそも、謝罪をした結果、幾らかでも心の中の重荷が減り、少しでも心が軽くなるのは、迷惑を掛け謝罪をする側です。凶悪な事件に巻き込まれ、大切な人を亡くした方がおられると仮定して、悲嘆にくれるその人の心は、謝罪によって救われる訳ではなく、謝罪があってもなくても、つらく苦しい現実に放り込まれたまま、何も改善されません。
元々、関心がなく、また、テレビ受像機を持っていないので、詳しいことは知らないのですが、最近、テレビなどの娯楽の世界では、やたらと、謝罪会見が行われているらしいことは、薄々、聞いております。
「不倫をして謝罪をするなら、近しい人や迷惑を掛けている関係者に対して謝罪すれば、謝罪は充分ではないでしょうか。世界中の人々を魅了する大スターのような、余人を以って代え難き人物ならいざ知らず、不倫をした結果、あなたが、しばらく娯楽を提供する活動をしなくても、テレビを見ている人に対し、何ら迷惑を掛けないと思いますよ」と、心の中で呟く僕は、やはり変なのでしょうか。
もしくは、「誰に対して何を謝っているのか分からない記者会見を、本物の記者の前で、台本なしで行う」というシュールレアリスムを、全員で表現されているのでしょうか。世の中、分からないことだらけです。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則