「テロには屈しない」と叫ぶだけでは、何の抑止力にもならない | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 なぜ、履修したのか、今となっては、全く思い出せないくらいなので、その講義の正確な名称も覚えていないのですが、大学生のときに、中東(特に、アラブ世界)の地域研究(area study)の講義を選択し、たしか、休まず受講しました。
カトリック教会が母体である高校に通い、ほんの少しですが、キリスト教の文化に触れた後だったので、「イスラム教の文化にも触れてみることは、人類の社会を少しでも理解する上で、有益かもしれない」と思い選択したのか、はたまた、女性講師による「中東研究」が珍しく感じられたので選択したのか、何も思い出せません。

 ただ、灼熱の太陽、水資源の圧倒的な欠乏、昼と夜の寒暖差が激しい砂漠という地形、そのような過酷な環境で暮らしてきた人々の「個人の自由」に対する考え方は、先進国の人々の「個人の自由」に対する考え方と、同じではないと、僕は思っています。

 先月の20日に、「過激派グループである自称『イスラム国』が、日本政府に対し身代金の要求をした」という報道に接し、その翌朝の投稿で、僕は、45年前に航空機が共産主義者同盟赤軍派にハイジャックされ、若い国会議員が身代わりとして新たに人質となることにより、乗客の解放を実現したことに、言及致しました。

 全国民を代表する憲法43条1項)国会議員のうち、社交的で、かつ、交渉力に長けた者が、拘束されている同胞の身代わりとして人質になることを申し出れば、当該過激派グループと人質交代の交渉をする過程において、理論武装さえしていない当該過激派グループの稚拙さを白日の下に晒し、同時に、世界の近代史における日本の立ち位置を、多くの人々に、改めて印象付けることができるのではないか。そのように感じたので、45年前の事件に言及致しました。

 「『同胞のためなら、自分の命を惜しまない』という日本人の精神に、当該過激派グループは、対応できないのではないか」というのは、僕の見立て、独断に過ぎません。諜報機関(ちょうほう)を持ち、それなりの予算を配分し、当該過激派グループに関する情報収集、情報分析を、ぬかりなく行っていれば、無策ということは、なかったのではないでしょうか。安全な場所で、味方に向かい「テロには屈しない」と叫ぶことには、何の抑止力もありません。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則