通貨を投機の対象にすることは、国民生活の向上に寄与するか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 金融立国という言葉はあっても、金融立国である国家は、この世に、存在しません。資金を貸し付けることによって存立し得るのは、国家ではなく、個人、そして、血縁や姻戚関係による個人の集まり、つまり、親族、同族です。

 紋切り型で陳腐な例示で、誠に済みませんが、このことは、ロスチャイルド家やロックフェラー家の存在を見れば、明白でしょう。また、アイスランドなど幾つかの小国では、金融機関の多くが、「所得の多くない米国人に新築戸建て住宅を供給するために金を入する」という投資のためではなく、「ひたすら利潤を追求する」という投機のために、サブプライム住宅ローンが複雑に組み込まれた債券を大量に保有していましたが、それらの国の経済が、サブプライム住宅ローン危機を経て、その後どうなったかを見ても、もちろん、明白でしょう。

 お陰さまで、僕は、どうにかこうにか、この憂き世、ではなかった、この浮き世で、47年ほど生きて参りましたが、金融政策によって、経世済民を実現することはできない、「世を治め民を救う」ことはできないと、思うに至っています。
そもそも、社会的動物である人類は、交易を円滑に行い分業体制を維持、発展させるために、なるべく価値が一定で、万人がその価値を認める物を通貨(currency)にしてきました。にも関わらず、人類は、おおよそ100年前、第一次世界大戦の後あたりから、徐々に、金本位制から離脱していき、通貨の総量が発券銀行のさじ加減によって変動し続ける社会、つまり、単位通貨(1円や1ドル)の価値が一定でなく変動し続ける社会を、選択しました。

 挙げ句の果てには、1973年2月に、米国主導で、なるべく価値を一定に保っておきたいものであるはずの通貨を、命の次に大事なものであるはずの通貨を、輸出入業者だけでなく投機家も参加する市場で売買できるように、しました。つまり、米国主導で、通貨を投機の対象にしました。
ほぼ、リチャード・ニクソン政権の独断による変動相場制への移行から、来月で、42年。皆さんは、この42年を、どのように振り返られますでしょうか。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則