今ある経済学は、経世済民の実現に寄与しているか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 いわゆる経済学の本などを開けば、需要曲線と供給曲線のグラフが掲げられている。横軸を数量、縦軸を価格として、需要の有り様と、供給の有り様を、それぞれ、座標で表したとされるグラフで、右肩下がりの需要曲線と、右肩上がりの供給曲線が、Xの字のように交わっているものが、お決まりのように、その類いの本には、載せられている。

 価格が下がれば、「だったら買おうか」と思う人が増えるので、系の中における需要の総量は増えるだろう。なので、需要の有り様が、右肩下がりのグラフになることは、ある程度、想像できる。
価格が上がれば、「だったら売ろうか」と思う人が増え、既に売っていた人は「もっと売ろうか」と思い、系の中における供給の総量は、増えるだろうか。供給の有り様は、本当に、右肩上がりのグラフになるだろうか。売る側の人は、常に、「利益を最大化させたい」と思っているのではないか。

 売る側の人は、市場調査をして消費者の嗜好や懐具合を調べ分析し、その人なりに、どういう需要曲線になるか、推量する。推量で描いた需要曲線上の、どの点(各点は座標で、価格と売れるだろうと思う数量の組み合わせ)を選べば、ご本人の利益の最大化を実現できるかを考えて、販売価格と販売数量を決定する。
利益が出る価格であれば、限りなく沢山売りたいと思うのが、人の情というものであり、あんな右肩上がりの供給曲線が成立するとは、私は思わない。

 子供のころに、初めて需要曲線と供給曲線のグラフを見たとき、おかしなグラフだなと思った。そのせいか、心の奥で、今も「経済学と呼ばれているものは、経済に関する一つの研究に過ぎず、学問と呼べる域に達していない」と、思っている。
私は、経世済民を実現することにあまり寄与しない学問を、経済学と呼びたくない。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則