外国語の言葉に訳語を割り当てず、単に、その発音を片仮名で表記することが、さも、当然のことのようになってから久しいので、「セキュリティ」という言葉も、広く世間で使われている言葉でしょう。「あのマンションは、セキュリティがしっかりしている」とか、「セキュリティソフトは、◯◯がいいよ」とか。
"security"という言葉の、枝葉ではなく幹に当たる部分は、「安全であること(to be secure)」や「安全を確保すること(to make places safe)」であると、僕は感じています。
印刷術が生み出された後、順に、映画、ラジオ放送、テレビ放送、インターネットが登場し、情報伝達技術が発達してきた訳ですが、近年、政治の世界では、事の本質に、人々の関心が向かわないようにするためか、耳当たりのいい言葉が多用されるきらいがあるのではないでしょうか。
GATT(General Agreement on Tariffs and Trade)、関税及び貿易に関する総合的な協定。そのように言えば、この言葉を初めて聞く人でも、何となく、どのような協定か、想像できるでしょう。
TPP(Trans-Pacific Partnership)、太平洋越しの協力関係。そのように言えば、この言葉を初めて聞く人は、何を想像するでしょう。人によっては、「PPM(Peter, Paul and Mary)とNSP(New Sadistic Pink)をもじったバンドなのか」と、思わないでもないでしょう。
テヘランで、また、ヤルタで、どのような会合が持たれたのか、詳しいことは、知る由もありませんが、戦後、発足した国連には、最重要機関として、米英仏ソ中の5か国のみが拒否権を持つ安全保障理事会(Security Council)が、設置されました。
「外敵の攻撃を未然に抑止し、そして、万が一、外敵に攻撃されたら、反撃して国を守る」ことを指す防衛(defense)という語が、ちゃんとあるにも関わらず、なぜ、"social security"(社会保障)の"security"を、こんなところ(国連の最重要機関)で使うのか。
耳当たりのいい言葉が多用される昨今、事の本質を探る努力を怠らないようにしたいと、思っております。
兵庫県姫路市にて
佐藤 政則