先の大戦の後、一時は、赤狩りとまで呼ばれるほどの反共活動(McCarthyism)を推し進めた米国。1949年、ニューヨーク市ブロンクス区生まれの歌手、ビリー・ジョエルは、1987年に、ソ連公演を行い、その後に発表した楽曲『Leningrad』の中で、自身のことを、「マッカーシー時代の、冷戦の申し子(A cold war kid in McCarthy time)」と、表現しています。因みに、McCarthyとは、反共活動を押し進めた上院議員、Joseph McCarthyのことだそうです。
時は流れて、ベトナム戦争の末期、1973年の春に、ベトナム和平協定に基づき、米国軍は、ベトナムから撤退しましたが、その前年、1972年の2月に、リチャード・ニクソン米国大統領は、北ベトナムの支援国であった、中華人民共和国を訪問し、毛沢東主席らと会談しました。ついでに申し上げれば、更にその前年、1971年の夏に、ニクソン大統領は、ドルと金(きん)の交換の停止、つまり、ドルの「不換紙幣化」を、突如、発表しました。
僕は、この小ブログ『不易流行』において、かなりの割合で、国家財政の赤字について、より具体的に申し上げれば、我が国の赤字国債(=特例公債)について、書いて参りました。日本国政府は、1975年度以降ずっと、赤字国債の残高を抱え続けています。しかも、1995年度以降は、「毎年度、残高が、過去最大になる」という状況が続き、もはや、この、「残高が、ひたすら増え続ける」という状況を変えることが、できなくなっています。
憲法において、どんなに、自由を謳ったところで、結果的に無謀な戦争をし、財政赤字に陥れば、その政府は、「何やら大革命などと称し、とんでもない規模で、自国民を殺戮する」者と手を組むことすら、やり兼ねないようになる。
だから、僕は、赤字国債について、かなりの割合で、書いてきましたし、これからも、かなりの割合で、書いて参ります。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則