『東京だョおっ母さん』の二番の歌詞について | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 今日、死なないとは限らない。浮き世の川は、それほど、危ういところであり、そこに浮かび、ただ流され、運ばれるだけの我が身が、生き長らえることに、どれほどの意味があろうか。そう思い、ここまで参りましたので、基本的に、「何月何日は、○○の日」というのが、苦手です。
どうしても、「今日、死ぬかもしれないのだから、○○が、そんなに大切なものであるのなら、何月何日まで待たず、毎日、毎時、常に、そのことを織り込んで、行動すべきである」と、思ってしまうからです。その結果、ずるずると罰当たりな生活を送ってしまい、思えば、2010年7月7日の未明に、母が他界してから、既に、4年以上の歳月が、過ぎておりました。

 その母の妹、僕から言えば、叔母に、数ヶ月前、「タブレットで、島倉千代子さんの『からたちの小径』を聴くことができるようにして欲しい」と頼まれました。叔母も父も、Nexus 7(2012)を使っていて、各種設定や保守管理は、僕がしているので、僕が使っているアカウントで、その曲が含まれているアルバムを購入し、必要な操作を行いました。

 なので、僕のMacBookの中にも、数ヶ月前から、このアルバムがあり、ずっと、『人生いろいろ』以外の曲は、聴いていなかったのですが、過日、たまたま、『東京だョおっ母さん』を聴いてみました。
この曲の歌詞の中に、『二重橋』が出てくることは知っていたのですが、実は、二番で『九段坂』が出てくることは、全く知りませんでした。迂闊だったなぁと思い、インターネット上の情報に当たってみると、どうやら、島倉さんや、他の歌い手さんが、この曲をテレビで歌われるとき、一番と三番のみを歌うことが、多かったようです。

 『東京だョおっ母さん』は、ただただ、田舎から上京してきた母親の手を引いて、東京の名所を案内する孝行な娘さん(おそらくは、集団就職で上京した女性)の歌。ごく最近まで、そのようにしか思っていませんでした。「桜の下で待つ、やさしかった兄さん」、そして、そういう兄さんを慕い思い続ける方々に対し、申し訳なく思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則