通しで読んでみて、別段、面白い訳でも、楽しくなる訳でもない文章を、毎度、書かせていただいています。なので、前回、投稿しました小文は、はてさて、幾人の方に、通しで読んでいただいているのか、甚だ心もとないのですが、前回の小文を通しで読んでいただいた方の中には、ひょっとしたら、
「何ゆえ、佐藤は、老齢基礎年金や老齢厚生年金が、保険なのか否かに、こだわっているのか」と思われた方も、おられるのではないでしょうか。
保険という、舶来語の訳語は、今でこそ、かなり有り触れた言葉かもしれませんが、1941(昭和16)年3月11日に、労働者年金保険法(昭和16年法律第60号)が公布された当時は、どうだったのでしょう。
労働者年金保険法は、1944年に、厚生年金保険法に改称されました。つまり、「厚生年金保険法は、いわゆる日中戦争のさなか、税収や戦時公債だけでは、戦費の調達がままならず、保険料という名目で戦費を調達するために、誕生した」と、申し上げても、「中(あた)らずいえども遠からず」といったところでしょうか。
話が、逸れてしまいました。もし、老齢基礎年金や老齢厚生年金が、ちゃんとした保険であるなら、数理的な手法を用いて処理されるので、「保険料の総支払額が○○円なら、△△歳からの受給額(=給付される額)は、年額□□円です」と、明確な数値が並ぶはずですが、老齢基礎年金も老齢厚生年金も、数理的な手法とは、全く無縁です、擦(かす)りもしません、丼勘定そのものです。
丼勘定の「なあなあ」な事業として運営されてきて、行き詰まり破綻しかかっている、現在の公的年金制度。納付済みの保険料に関する公平性を、ある程度保ちつつ、現行制度を、老若男女、多くの人が納得できるものに、改めていくには、一体、どのようにすれば良いのか。次回以降の投稿で、制度改正に関する私案を、書かせていただきます。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則