(前回の続きです。今回は、日本国憲法第7章「財政」についてです。)
よく、「一寸先は闇」と言われる政治の世界に関し、「もし、・・だったら」だとか、「もし、・・であれば」などと、たらればの話をすることは、無益なことであると思います。
ですが、それでも、39年前、財政法4条1項をないがしろにして赤字国債を発行するために「昭和五十年度の公債の発行の特例に関する法律」(昭和50年法律第89号)を通す、という安易過ぎる選択をせず、まっとうな選択をしていれば、あれから39年後の今、多くの先進国の財政が軒並み逼迫(ひっぱく)し、多くの政治指導者が、金融の世界を支配する者の強い影響を受けて、指導力を発揮できないでいる中、日本の内閣総理大臣の発言力や影響力は、どのようになっていただろうかと、思うことがあります。
日本列島の広い範囲において、軍事施設や軍需工場だけでなく、住宅密集地や商業地などの市街地をも絨毯(じゅうたん)爆撃するという、米国の戦争犯罪行為。69年前、そういう行為により、多くの都市が、焦土と化し、焼け野原のようになった日本。今、焦土、焼け野原という言葉を使いましたが、米国の戦争犯罪行為により焼かれたのは、土壌、建物、そして、そこに住んでいた多くの、非戦闘員である日本国民です。
物資がなく、身も心も疲労困憊(こんぱい)し切った中での復興は、戦後20年以上経ってから生まれた者としては、想像するしかないのですが、戦後の復興は、国債を発行することなく、成し遂げられたはずです。もちろん、国債を発行しようにも、貧しい国の公債を引き受ける者など居らず、発行できなかったという事情も、ございますが。
ということで、財政法4条の全項を、そっくりそのまま、日本国憲法に「86条の2」として移し、財政法から、財政法4条の全項を削除するというのは、いかがでしょうか。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則