海側を向いても、コンクリートばかりで海が全く見えない生活 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 初めて、国土強靭化という言葉に接したとき、正直に申し上げれば、思わず吹き出しそうになりました。これが自国のことではなくて、そして、周りに誰もいなかったら、吹き出していたと思います。創造主や国生みの神々にでも、なった積もりなのでしょうか。

 物事は全て、幾重にも関連し合っているし、大抵のものは、真白でもなければ真黒でもなく、その間で漂っているので、「復興のため」と称し、反対意見が出ないよう、よく分からない資料を沢山並べて、お上手に説明し、あんなことにもこんなことにも予算をつけ、公金を、どんどん流していく。
同じようなやり口で、どれだけのハコモノと呼ばれる建築物や構造物が建造され、また、どれだけの不要なポストが新設されてきたか。濃淡はあると思いますが、皆さんの周りにも(日本にお住まいであれば、ですが)、思い当たる事例が、あるのではないでしょうか。

 そもそも、強靭という語は、「強靭な肉体」や「強靭な精神」などのように、人などの生物に関して使われる語であって、無生物に関して使われることは、あまりないと思うのですが、僕の思い過ごしでしょうか。あっ、ひょっとすれば、詩のお積もりなのでしょうか、『強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化基本法(平成25年法律第95号)という、長い法律名称、そして、その法律の、長い長い前文は。

 先月、伺いました宮城県の気仙沼では、巨大な防潮堤を建造すべきか否かで、住民の方の意見が、大きく分かれているそうです。「巨額の公金を投入して巨大な防潮堤を建造し、海側を向いても、コンクリートばかりで海が全く見えない生活」を、子や孫に受け継がせるべきなのでしょうか。
なかなか、本題にたどり着きません。ハコモノ行政の別名にしか思えない、国土強靭化政策について、続きは、次回、書かせていただきます。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則