常在戦場であることと、『葉隠』のあの一文について | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 『えっ、友党?」と、思わず、口に出してしまいそうになったのを、ぐっと、こらえたことがあります。前回の衆議院議員選挙(平成24年12月16日実施)の際、自民党神奈川県連の決起大会が、横浜の山下公園の近くであり、僕も出席したのですが、そのときの出来事です。

 壇上に居並ぶ立候補者の中に、自民党員ではない立候補者がおられ、その人を紹介する際に、司会者は、「友党である○○党の誰それ」というふうに紹介し、その人は、自民党員の立候補者と同じように、満場の拍手で迎えられておりました。

 常在戦場。政治とは、各人の利害が一致せず意見が合わない分野において、大所高所から全体を見て、調整を行うことであり、政党は、常に、旗色を鮮明にすべき組織です。少なくとも、まともな議会制民主主義の国では、政党は、決して、親睦団体でもなければ、仲良しクラブや同好会でもありません
友党という言葉を聞いて、中国共産党や大政翼賛会という言葉を、連想してしまうのは、僕だけでしょうか。

 この国に、上下水道が必要か否か、高速鉄道が必要か否か、発電施設と発電のための燃料が必要か否か。こういったことの総論の部分は、「各人の利害がほぼ一致し、意見が合っている」部分です。何事においても、各論の部分は、たいてい、「各人の利害が一致せず、意見が合わない」部分であり、そういう一触即発の部分こそ、政治が関与する部分です。
武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり(『葉隠』より)。含意が多く、曲解されやすい一文で、僕のような未熟者にとっては、歯が立ちませんが、なんとなく、「常に戦場にいることを、忘れないように」と言われているような気がします。

 誰が為に政治があり、誰が為に生きて死ぬのか。そして、国会議員の本分は、何なのか。くっついたり離れたり、合従連衡ばかりを繰り返すことではないはずだと、僕は思います。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則