29年前、突然、靖国神社参拝に難癖をつけ始めた中国 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 過日、旧友と横浜にある港の見える丘公園を訪れた際、僕の発案でお連れした手前、「みなとみらい地区から、赤レンガ倉庫、大さん橋、山下公園を通ってここまで、観光用の歩道が整備されていてね、ジョギングしてる人もいるみたい」などと、当たり障りのない説明を、友人にしました。

 「この丘の上は、ハイカラでおしゃれだということで、お若い方のデートコースとやらになっているのかもしれないけれど、外国人居留地というのは、要するに、租界のようなもの。そして、なぜ、ペリーが来た後、(鉄道の東海道本線ではなく、街道の)東海道沿いにある神奈川港ではなく、東海道から離れたところにある漁村である横浜村の港を、整備して開港したのか。(日本人の)先人が、何を考えどう行動したか、歴史に思いを馳せて欲しいんだよね」などと、興ざめなことを言おうかなとも思いましたが、旧友と言えど、一応、女性もいる前での、この手の発言は、いくらなんでも野暮過ぎると思い、ぐっと、飲み込みました。

 (強引な文章展開になりますが)租界と言えば、"魔都"上海の、上海租界が、最も有名でしょうか。話せば長くなるので割愛させていただきますが、私用で30回ほど、上海に渡航したことがあり、僕が、そこで会った中国人に限って言えば、彼ら彼女らはみな、「私は中国人です」という意識、「私は漢民族です」という意識は、あまりなく、「私は上海人」という意識、思いが、ことさら強く、「彼ら彼女らにとっての自己定義(identity)は、中国人ではなく、上海人なんだな」と、僕は、思いました。

 うーん、最終的に、いわゆる靖国神社参拝問題について書かせていただく積もりで書き始めました。円高が進み、『Japan as Number One』などという書籍が売れ、日本が経済大国と呼ばれるようになる前は、日本の首相を始め、多くの他国の要人が、靖国神社を訪れ拝礼しても、何も言わなかったのに、1985年の夏になって、突然、中曽根康弘首相の靖国神社参拝に言い掛かりをつけ始めた中国の成り立ちに、少し触れてから、本論に入る予定ですが、一旦、ここで切らせていただきます。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則