「平和憲法を守ろう」と叫ぶ者の多幸感と、その空虚さ | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 法令の世界は、憲法があり、憲法に基づいて法律があり、法律に基づいて政令や省令や庁令があり、更に、行政機関内で上位の者が下位の者に対し、所掌事務に関する具体的指針を示すための文書である通達がある、という構造になっています。より正確に申し上げれば、建前上は、そういう構造になっています。

 言葉は、もっと広く捉えれば、記号は、人間の脳が作り出したものなので、個々の記号が何を指し示すのかは、かなり恣意的です。朝鮮半島北部を、実質的に統治している者の体制を、日本は、国家として承認していませんが、彼らは、「朝鮮にある、民主的な、人民による共和制の国、つまり、国家主権が人民に存する国」と名乗り、議会(最高人民会議)を構成する議員は、民主主義の基本である選挙を行い、選出しています。

 言葉という記号の集まりである憲法自体は、所詮、その程度のものです。つまり、国家主権を真に有する者が、高い倫理観や、他者を思いやる心、和の心を持ち、法令を運用することが、とても重要だということです。

 また、全ての法令は、平和のために存在しています。21世紀の今、例えば、他者や他国を虐げることを目的とする"法令"を有する統治体制があったとしても、国家として承認されず、結果、その"法令"は、法令と呼べないでしょう。そういうことを理解されている、大多数の日本国民は、わざわざ、「平和法律」だとか、「平和憲法」という言葉は使わないし、そういう言葉が、どれだけ空虚なものか、充分ご理解されていると、思います。

 得意気に、そして、声高に、「平和憲法を守ろう」などと叫ぶ御仁は、自分に酔って居られるのでしょうか。現世は、酔客の戯言(たわごと)で、国民の生命や財産を守れるほど、甘い所では御座いません。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則