米国は、大砲を搭載した海軍艦船を日本に送り込んで、日本に対し、開港を迫った。開港を迫った主な目的は、太平洋において安定的に捕鯨をするのに必要な寄港地を確保することだったと、言われている。
当時、鯨油は、「寒冷地において原動機(動力を得るための機械)を使用するときの、潤滑油」として、大変、重宝されていたそうだ。当時は、まだ、アラスカは、ロシア帝国の領土だった。アラスカで原動機を使用するのに、鯨油が必要だった訳ではなくて、制海権を握りたいという、極めて軍事的な思惑を追求するために鯨油を欲したと、言われている。
「鯨油を独占すれば、寒冷な海域においては、必ず優位に立てる」という算段をしていたのだろうか。
時は流れ、日米両国は交戦し、日本各地での空襲による非戦闘員の大量殺戮、沖縄での地上戦、広島と長崎での原爆攻撃による非戦闘員の大量殺戮を経て、日本は敗戦国となった。
占領政策とも呼ばれる「日本弱体化政策」が実行された後、サンフランシスコ条約と旧日米安全保障条約が同日に発効し、日本は、制限されていた国家主権を回復して、今に至っている。
本日は、本来なら、紀元節。現行の法律に則れば、建国記念の日。過去を全肯定したり全否定することは、過去から何も学び得ない愚かしい態度だろう。
抽象的な物言いしかできなくて申し訳ないが、共栄という、和を重んずる考え方は、最終的には、最も多くの支持を得る考え方だと、私は思っている。
東京都港区にて
佐藤 政則