ルーマニアのチャウシェスク大統領を、その一例として挙げるまでもなく、米ソ冷戦時代の、ソ連及び共産主義陣営に分類される国々では、凄まじいまでの個人崇拝の強要が、行われていた。
1980年代に、ソ連のブレジネフ書記長、次のアンドロポフ書記長、その次のチェルネンコ書記長が、相次いで亡くなったころ、私は中高生だった。国葬前後の様子を映すニュース番組を見て、「毛沢東主席が亡くなったときみたい。普段は、国内の情報や映像を、あまり他国に公開しないのに、このときとばかりに、悲しみに暮れる国民を撮影し他国に配信するのは、やっぱり作為的で不自然だな。一般の国民は、本当はどう思っているのだろう」と思ったことを、覚えている。
我が国においても、個人崇拝を強要した歴史があるが、今はどうか。新年の一般参賀や天皇誕生日の一般参賀の際、天皇皇后両陛下を始めとする皇室の方々に向け、いつもいつも、バシバシと、写真撮影用のフラッシュが使用されて、閃光が飛び交っている。
天皇皇后両陛下を始めとする皇室の方々は、エンターテインメント(いい訳語が見つからなくて、済みません)の世界にいる演者などであられる訳ではない。また、私は、小心者なので、そもそも、写される人の了解を得ずに、その人にカメラを向けたり閃光を浴びせたりする勇気がない。なので、飛び交うフラッシュの閃光を見て、いつも、「本当に自由な国だな」と思う。
自由と安全が、かなりの程度、保障されているこの国で暮らしていることに対する感謝の気持ちがあるのなら、他人を慮(おもんぱか)る心の余裕も、皇室の方々に思いを致す心の余裕も、生まれるだろう。
この国の国柄について、正面切って申し上げることは、非常に難しいし、かなりの字数を要する。今回は、そのごく一部を書かせていただきました。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則