今を生きる人々の脳が、どういった情報を欲しているか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 1990年代の前半に、ダイナブックEZ(クリック後、PDFの2頁を参照)と呼ばれる、MS-DOSベースのノートパソコンを使っていたころ、当時最も一般的だった表計算ソフトとワープロソフト(順に、ロータス1-2-3、一太郎)がプリインストールされていて、何の支障も感じなかった。支障を感じないどころか、文章の推敲が、紙とペンに比べれば、格段にしやすくなり、すごく重宝したのを、昨日のことのように覚えている。

 その後、パソコンで静止画が扱えるようになり、音声が扱えるようになり、動画まで扱えるようになり、終いには、パソコンのPCIバススロットに指せば、パソコンでのテレビ視聴が可能になるパーツまで現れたので、パソコンでテレビを見るようになり、テレビ受像機を手放した。

 何も、結構、奥行きがあったテレビ受像機の置き場に困っていたからではない。「あっそうか、ラジカセもテレビも、詰まるところ、情報機器であり、情報とは、記号、もしくは、記号的なもののことだから、別々に機器を揃えるよりも、集約して一台の機器で情報を扱うほうが便利だな」と、思ったからだ。

 胃や腸は、食物そのものを消化吸収する臓器だが、脳は、情報を処理する臓器である。記号や、記号的なものを処理する。りんごそのものを処理するのではなく、りんごに関する情報を処理する。りんごに関する情報の量をどんなに増やしても、情報は情報であり、りんごではない。

 間もなく、ソニーから、メーカー希望小売価格168万円(税込)のテレビが発売されるという話を聞いて、「正気なのか」と感じた。業務用の機器ではなく、民生品のようである。どんなに情報量を増やしても、情報は情報である。今を生きる人々の脳が、どういった情報を欲しているか。

 ソニーの役員は、本当に、市場を見ているのだろうか。財務諸表を見て、物事を決めているのではないだろうか。私は、「日の丸電機」の復活を願う多くの日本国民のうちの一人として、そう思います。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則