原子力というパンドラの箱を、開けてしまった責任 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。


♫子供らに オレ達が与えるものはあるか
安らかに笑う家は いつまであるか
いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ♫



 久しぶりに、吉田拓郎さんの歌の一節です。『いつも見ていたヒロシマ』、作詞は岡本おさみさん、作曲は吉田拓郎さん。拓郎さんは、爆心地から、そう遠くないところにある広島皆実(みなみ)高校の卒業生。

 1945(昭和20)年3月10日の零時過ぎ、多くの人が眠りに就いている時間帯に行われた、東京に住む非戦闘員に対する大空襲。特に、この東京大空襲以降終戦まで、米国軍による、非戦闘員を殺戮する行為は、凄惨を極めた。

 そもそも、兵器とは、軍隊が敵の軍隊と戦うときに使用する武器のことである。原子爆弾などの核兵器は、敵国に住む人々を、戦闘員と非戦闘員の区別なく一気に殺戮し、町ごと、破壊し尽くすための道具である。原爆は兵器の範疇を超えているので、兵器ではなく、大量殺人の道具である。本年の3月10日に、そう、書かせていただいた。

 放射性廃棄物を無害化する技術を、未だ、人類が開発できていない以上、原子力という技術は、未完成の技術である。
今、私達は、原子力発電所で作られた電力を、利用するだけ利用して、放射性廃棄物は、人里離れた場所の地下深くの地層に保管し、それを半永久的に管理し続ける仕事を、子供らに与えている。

 原子力発電所で作られた電力の利用を、今後、継続してもしなくても、放射性廃棄物を管理し続ける仕事と、福島第一を管理し続ける仕事からは、撤退できない。パンドラの箱を開けてしまった責任を、どう取るか。結論は出ていると、私は思っている。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則