「事実は小説よりも・・・」という、言い古された常套句が、頭から離れない。私の私事に、ご興味がお有りの方は、そうは居られないので、私見を申し述べるために書いている硬いブログの合間の箸休め程度に、私事を書かせていただいている。住んでいる所が全焼するということは、世間で、そうあることではないので、昨秋の自宅アパートの火災について、少し、書かせていただきたい。
昨秋10月19日午前4時半ごろ、自宅アパートの隣室より出火し、あっという間に全焼した。新聞報道によると、たばこの火の不始末とのこと。因みに、私が直接、取材を受けた相手は、読売新聞の腕章を付けた人ひとりだけ。
その日の日の出時刻は5時50分くらいなので、私が、4時37分に、出勤するために玄関を出たとき、外は暗かった。そして焦げ臭かった。たまたま、早朝勤務の人が足りないから、早朝だけ来てくれと言われて、偶然、自宅にいて、かつ、起きていた。普通なら、寝ているか、夜勤シフトのため自宅にいないか、どちらかである。
玄関を出て、アパートの隣室を見ると、既に煙がもくもく出ている。すりガラスの窓越しに隣室の中を見ると、炎が天井まで上がっている。私は、隣人の安否確認をし、当人に通報の有無を尋ねた。通報は、まだだった。続いて、燃えているアパートに隣接する母屋に、卒寿を超えた老人が住んでいるので、母屋に走り、安否確認をした。そして、4時39分に、119番に通報してから、近隣の人を起こすために、「火事です。起きてください」と大声を、何度も出した。
結局、火元の人は、通報も消火活動も近隣住民を起こすことも、しなかった。母屋の老人は、私が安否確認に行ったときには、既に起きていて火事に気付いていたことと、母屋に延焼しないように灯油のポリタンクを移動したことを、何度も口にする。なぜか、火事に気付いても、119番通報をしない。
人が寝ているであろうアパートが、火事になっている。そのことに気付いても、人は、そのアパートで寝ているであろう人の安否など確認しない。119番通報もしない。ひたすら、自分が被る損害を減じるための行為に邁進する。
そういう事実を目の当たりにした。作り話なら、感想文が書けるかもしれないが、事実は重い。そういうわけで、居室内に置いていた私の動産は全て、燃えました。当然、Mさんから頂いた品もです。しかし、"偶像"が無くとも、私は、その物に込めたMさんの気持ちを、今後も忘れません。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則