ことあるごとに、「日本国は唯一の被爆国だ」と、おっしゃる方がおられる。仮に、そうだとしても、先の戦争のとき、日本も、ナチスドイツや米国ほどではないが、"新型爆弾"の研究開発を行っていたことは、なぜか、おっしゃらない。
核燃料が溶融し、格納容器外へ漏れ出て、人類の現在の技術では、拾い集めて再度、密閉された容器に格納し直すことができず、具体的な収束の道筋が立てられないでいる。ただひたすら、再臨界が起きないように、水冷しながら漏れ出た核燃料を見張り続けている。
福島第一での原子力事故が発生するまでは、私は、表立って、原子力発電に反対してこなかった。昨春に書かせていただいた通り、人類は、肥大化した脳を持ち、快不快の原則に、ある程度縛られている生物なので、蕩尽するかのようにエネルギーを消費することを、それなりに認めないと、安定した社会を築けない、そう考えていたからである。表立って反対してこなかった責任は、当然、免れない。
今、私は、「原子力という技術は、未完成の技術であり、完成するまでは、実用に供してはならない」と、考えている。
核分裂、もしくは、核融合によって、多量のエネルギーと放射性物質が生じる。多量のエネルギーは、どんどん利用する。が、人類は、放射性物質を無害化する技術を持っていない。地層処分と称して、放射性物質を地下に埋めて、その放射性廃棄物の管理を、子や孫にどんどん押し付けている。
美味しいところは頂いて、ごみは子や孫に押し付ける。人の道に反している。だから、放射性物質を無害化する技術を開発するまでは、実用に供してはならないと、私は考えている。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則