小型木造船に乗っていた9人は、本当に難民なのだろうか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 私が子供のころ、ベトナムやカンボジアなどからのいわゆるインドシナ難民を受け入れるための施設が、姫路市を流れる市川という川のそばにできた。

 外務省のウェブサイトによれば、国会において、国連難民条約(United Nations Convention Relating to the Status of Refugees)への加入が承認されたのは、1981(昭和56)年6月のことである。その難民条約における難民の定義は、ざっくり言えば、「迫害されるおそれがあるため、自国を脱出した者」である。

 この2日間、能登半島沖に流れ着いたとされる9名に関することが、報道されている。もちろん、私は、マスコミからしか情報を得ることができない一般人であるが、2日前にマスコミの情報に接したときに思い浮かんだのは、難民という言葉ではなく密航者という言葉だった。

 船外発動機、軽油180リットル、水30リットル、食料などを小型木造船に積んで、北朝鮮北東部にある港を出たとのことである。
なぜ、180リットルの軽油は調達できたけれど、救命胴衣は調達できなかったのだろうか。なぜ、沖合約25km、つまり、領海から少しだけ外に出た辺りで、発見されたのだろうか。

 私はど素人なので、詳しいことは全く分からない。ただ、母船である偽装漁船に、例の9名や小型木造船など、必要な人員と物資をのせて、日本の領海近くまでやって来て、ようやく小型木造船と9名を母船から降ろし、脱北者として発見され保護されることを待ったのではないかと思ったので、密航者という言葉が、思い浮かんだ。

 9名の中に、特に衰弱している者は、いなかったそうである。漂流者が、難民であるか否か。たった1日か2日で、それを判断してはならない。


神奈川県にて
佐藤 政則