この世の中には、投機マネーを投下して利ざやを稼ぐためなら、自由に売買取引ができる市場を要求する者が、存在する。株式も、社債も、国債も、金も、銀も、原油も、小麦も、大豆も、通貨も、市場と呼ばれるところに参加すれば、実需が有っても無くても、ほぼ自由に売り買いができる。
自由に売買取引ができる市場を要求する者が、存在する一方、「他人に対し、自分が作った物を買い取ることを義務付ける」法律を成立させようとする者が、存在する。よくよく、伺ってみると、同一人物が、両者を兼ねることもあるようである。市場至上主義の経済と、やくざまがいの経済。
不動産を不法に占拠しておいて、高額で買い取るよう強要する。内容が薄い図書を送り付け、高額で買い取るよう強要する。どこからどう見ても、それらを連想してしまう手法なので、"やくざまがいの"という表現を、使わせていただいた。
それにしても、未だかつて、こんな馬鹿げた法案(クリック後、閣法の"177-51"の行を参照)が、あっただろうか。もし、私企業が立ち上げることができない事業だけれども、国民にとって、とても重要な事業があるならば、その昔、官営八幡製鉄所を設立して近代製鉄を推し進めたように、まず、公企業が、その事業を立ち上げるべきである。
買い取り制にすれば、生産者は、買い取り価格を高止まりさせることに力を注ぎ、費用を下げることに力を注がなくなるだろう。過去において、米価が、そうだったのではないのか。
市場至上主義の経済と、やくざまがいの経済。人間、歳をとっても、大災害を目の当たりにしても、結局、何も変わらないということである。
神奈川県にて
佐藤 政則